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「おまえはもう知ってのとおり、俺は奴隷だった。俺が奴隷になったのは七歳の頃だ」
 閉めきった船長室で、ユーリとギルダーは向かい合って話をしていた。ギルダーの話し方は淡々としたものだった。
「どうしてギルダーは奴隷になったんだ?」
「親父の船が海賊に襲われたからだ」
「ギルダーの父さん?」
「おまえが散々聞き回っていたシュヴァルツ船長だよ。シュヴァルツ・サー・アルタリス。俺の親父だ」
「えっ。あ、つまりサシャおばさんがオレを見てシュヴァルツ船長の若い頃にそっくりだって言ったのは……」
「おまえにとっちゃ爺さんだからな。似てたっておかしくはねえ」
 シュヴァルツはアルタリス号の船長だった。つまりギルダーが襲われた時に乗っていた船というのはアルタリス号のことだ。ギルダーが七歳の頃――二十年前、ちょうど初代アルタリス号が沈んだ時期と一致していた。
「二十年前にアルタリス号は沈んだ。俺はその頃の記憶が曖昧でな、何があったかはよく覚えてねえ。ただわかるのはアルタリス号が沈み、親父とお袋が殺され、俺が敵の海賊に捕まったという事実だけだ。海賊に捕まった俺は奴隷として売られた。俺を買ったのはトマ・ボーダマンだった」
「ボーダマン……」
 自分の家。自分が家だと思っていた場所。
 ユーリがずっと自分の家だと信じてきた場所だ。だがそこはギルダーにとって悪夢の場所だった。
「奴隷と言ったほうがまだ聞こえがいい。俺は……俺は、奴の遊び道具だった。俺を欲の捌け口に使っていたんだ。奴は俺が苦しむ姿を見ては楽しみ、俺の悲鳴を聞いては喜んでいた。最低のクズ野郎だ」
 ユーリはフェリアス号でギドが言っていたことを思い出した。『貴族は綺麗なものを壊して楽しむキチガイ野郎ばかりだ』と。ギドの言葉は当たっていた。その被害者はユーリの身近なところにいたのだ。
 胸が痛い。ユーリはぎゅっと胸元を握り締めた。
「地獄のような日々が何年も続いた。そして俺が十二の頃――もっとも、あの頃は時間の感覚なんてなかったからちゃんとした歳は覚えてねえが、おまえの歳を考えるとそんなもんだろう。ボーダマンが一人の奴隷女を連れてきた。黒い髪に青い瞳の女だ」
「それって……」
「そうだ、おまえの母親だ」
 ギルダーは一呼吸置くと、話を続けた。
「何故ボーダマンの奴が彼女を連れて来たのか、はじめはわからなかった。酷い話、これからは彼女が俺の代わりになるのかと馬鹿な期待も抱いた。だが、ボーダマンが彼女を連れて来たのは最もゲスな遊びをするためだった。奴は、俺を使って、彼女に子を孕ませる遊びを思いつきやがったんだ……!」
 震える声にユーリははっと顔をあげた。額を押さえつけるギルダーの手が小刻みに震えていた。顔は蒼白で、呼吸も荒い。
「奴は自分が楽しむために俺たちに性交をさせたんだ! まるで見世物であるかのように! 俺はっ、薬で狂わされていたとはいえ、俺は、彼女を無理に……!」
 体が尋常ではないほどに震えている。きっと思い出すだけでも辛いのだろう。
 以前、ギルダーが女性恐怖症であるという話を聞いた。『女を無理やり犯した』と、それが原因だと、ギルダー自身が話していた。この話のことだったのだ。ギルダーにとって奴隷時代は全てを狂わせてしまうほど辛い過去だ。特にこの話に、ギルダーは相当な罪悪感を抱いているに違いない。
 シノははじめから見抜いていたのだろう。ギルダーが己の過去を話すことで苦しむことを。ギルダーの異様な震えに、ユーリはシノを呼びに行こうかと迷った。
 だが、こんな状態のギルダーを一人にしておくのは忍びなかった。
 ユーリは背を丸めて震えるギルダーの体をぎゅっと抱きしめた。
「おかげでオレが生まれてこれたんだ。ギルダーは悪くないよ」
「……!」
 ユーリはギルダーの背中に手を回し、宥めるようにして背中を撫でた。ギルダーのようには上手くいかないが、少しでも気休めになればと思い必死に撫でた。
 ギルダーはようやく落ち着きを取り戻すとユーリから離れ、ぽんぽんと頭を撫でた。
「……すまねえ、取り乱しちまって。おまえのほうがよっぽど辛いのにな」
 ユーリはとっさに首を横に振ったが、嘘だというのはとっくにバレているだろう。衝撃を受けずにはいられなかったのだ。自分は望まれて生まれてきた子ではないと思うと、心が苦しくてたまらなかった。
「その後俺は運よく脱出できた。けど、おまえは……おまえを身ごもった母親は連れ出すことができなかった。俺は失敗したんだ」
「だからあの時、もう二度とヘマはしたくないって」
 ギルダーはこくりと頷いた。
「俺がわかるのはここまでだ。その後おまえの母がどうなったか、おまえがどうしてボーダマン家の子として育てられるようになったのかはわからねえ」
「どうして、父さ……いや、ボーダマンはオレを息子として育てたんだろう?」
「さあな。キチガイ野郎の思考なんざわかんねえよ」
 父親として接してはくれなかったが、トマ・ボーダマンは間違いなくユーリを自分の息子として育てていた。そこに一体どんな理由があるのだろうか。考えてみても納得するだけの理由は見つからず、思考の泥沼にはまる一向だった。
「ボーダマンのところから脱出した俺は十年近くもの間、おまえのことなど忘れて生きてきた。いや、きっと思い出したくなかったんだろうな。あれは悪い夢だと思って忘れたかった。でも、三年前におまえを見つけた時、嫌でも意識しなければならなくなった」
「え? 三年前?」
「毎年船上で誕生パーティーを開いてたろ? 三年前のあの時、海上でたまたまおまえを見つけた。一目見ただけでわかったよ。こいつは俺の息子なんだってな」
 誕生日はボーダマン商会の商船の上で祝うのが慣習となっていた。それがいつからかは覚えていないが、三年前の十一歳ならば確かに船の上で誕生日を迎えた。それをギルダーが見ていたのだ。
「はじめはどうでも良かったはずなんだけどな。おまえの顔を見ているうちに無視できなくなっちまって、とうとう誘拐するに至った。攫った当初は自分の子どもだなんて実感が沸かなかった。けれど、おまえが無茶なことをする度に気が気でなくなるし、おまえのことが放っておけなくなるし。自分でもよくわかんねえよ。結局のところ、俺はおまえと向き合うだけの勇気が足りなかったんだろうな」
 ギルダーはぎゅっと唇を噛み締め、ユーリに向かって頭を下げた。
「すまなかった。十四年の間、おまえと向き合えなくて」
 ずっと悔いていたのだろう。十四年の間、ずっと。
 ユーリにはギルダーを責める気などこれっぽっちもなかった。
「自分が望まれて生まれてきたわけじゃないことは確かにショックだけどさ。でも、ギルダーはいつだってオレのことを気にかけてくれた。今回だってさ。ちゃんとオレのことを見ていたじゃないか」
 いつだってギルダーは自分のことを見守ってくれていた。
 彼は紛れもなく父親だった。
「ギルダーが父親でよかったよ」
 その一言はどんな言葉よりも救いだった。
 十四年間の重みから解放されたギルダーはようやく胸のつかえが取れたのだろう。凪のように穏やかに、けれどどこか照れ臭そうにはにかんだ。
「おまえが息子でよかった」






[2014年 6月 6日] 初稿
[2014年 12月 22日] 誤字修正

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