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 少女は惑っていた。
 気がつけばそこは見知らぬ船内。しかも頼りにしていた人たちの姿が見えない。あたりは水を打ったかのように静まり返っていて、不気味な雰囲気を漂わせていた。
 孤独と不安で今にも押し潰されそうだった。
「みんなどこに行ったのよ……」
 少女は目に涙を浮かべていた。本当は声をあげて泣きたいぐらいだが、泣いたところで意味がないのは十分に理解できていたから、必死にこらえていた。
 だが。
 ガタン!
 突如あがった物音に少女はびくりと肩を震わせた。
「エドワード? オスカー?」
 期待をこめて、少女は信頼できる部下たちの名前を呼んでみた。
 だが、彼女の前に姿を現したのは銀髪の少年だった。


 なんだか妙なことになった。ユーリはそう思わざるをえなかった。
 自分たちの船がジーク・ライデイン号とぶつかったかと思えば、気がつけば見知らぬ船内にいた。アルタリス号とよく似た造りをしているが、よくよく見てみるとどこか違う。とっさに思い浮かんだのがジーク・ライデイン号だった。
 ひょっとして自分は幽霊船に迷い込んだのではないかと。
 すぐ近くに倒れているカティアの姿を見つけ、ユーリは彼女を揺り起こした。
「カティア、大丈夫?」
「ん……ユーリ、ここは?」
「どうもオレたちの船じゃないみたい。ひょっとしたらここはジーク・ライデイン号なんじゃないかな?」
「私たち甲板にいたはずなのに」
 衝突する直前、ユーリたちは甲板でジーク・ライデイン号を見上げていた。そこにはギルダーをはじめとする他の船員たちも一緒にいた。
 他の仲間たちはどこに行ってしまったのだろうか。
「ひとまずみんなを探しに行こう」
 ユーリの提案にカティアが頷く。
 ユーリたちは部屋から出ることにした。だが、それは扉を開けた瞬間に起こった。
「エドワード? オスカー?」
 カティアではない、女の子の声が聞こえてきたのだ。しかも知った名前を呼んでいる。カルスト兄弟の名前を呼んだということは、海軍所属の誰かなのだろう。海兵たちもこの船に迷い込んでしまったのだろうか。
(あれ? 海軍に女の子なんていたっけ……?)
 軍隊となるとどうしても男性の割合が高くなる。今朝方、港で海軍を見た時は男ばかりだったように思えたのだが。
 扉を開けきったユーリは、声の正体を知って思わず驚いた。
「あ……!」
「あ、あなたたちはアルタリスの……!」
 扉の先にいたのはシャナイアだった。
 ユーリの面食らった表情を見たシャナイアははっと口元を押さえた。ユーリが違和感を覚えたのも無理はない。昨日話した時と雰囲気が全く違うからだ。あの時は冷たく情のかけらもないような総提督だと思ったが、今ユーリたちの目の前にいるのは同じ年頃の少女にしか見えなかった。
 そして何よりも――
「……ひょっとして、泣いてた?」
「なっ、泣いてなんかいないわよ! バカっ!」
 薄暗い船内でも見えてしまったのだ。シャナイアの目が赤く腫れているのが。
「私は総提督なのよ。泣くわけなんか……っ」
 しかしどうもそれが限界だったらしい。シャナイアの瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「え、あ……ごめん」
 自分の余計な一言で泣かせてしまったとユーリは罪悪感を抱いた。慌てたユーリは己のポケットからハンカチを取り出してシャナイアに渡した。ハンカチを受け取ったシャナイアは意外そうな顔をしていた。
「海賊なのに随分とマメなのね」
「いや、オレ、確かに海賊だけどやってることはみんなの飯の支度するぐらいだし」
 アルタリスに正式加入してからもうすぐで一ヶ月となるが、仕事は以前と変わらず仲間たちの食事の支度をすることだった。船の掃除や出入港の準備、操帆の手伝いをすることはあるが、掠奪の片棒を担がされるようなことは未だになかった。料理人として衛生面には人一倍気を使っているので、ハンカチはいつも持ち歩いていた。
「ユーリの作るご飯は美味しいよ」
「あ、うん。ありがとう」
「ぎっ!」
「あ、こらクロ! オレの髪を噛むな!」
 いまいち緊張感に欠けるアルタリスの年少組を見て、シャナイアは思わずぷっと吹き出した。くすくすと笑うシャナイアを見て、ユーリはホッと胸を撫で下ろした。
「落ち着いた?」
「ええ、おかげさまで。それにしてもあなたみたいな子どもにこんな情けない姿を見られちゃうなんて」
 その言葉にユーリはむっと顔をしかめた。
「自分だって子どもじゃないか。オレとあまり歳変わらないのに」
「えっ。あなた、いくつよ?」
「十四だけど」
「うそ、十四? 私の一個下なの? チビっこいからもっと下なんだと思ってたわ」
「誰がチビすけだっ!」
 同世代と比べたら小さい部類に入るユーリは殊更身長のことを気にしていた。小さいと言われて怒らないわけがない。
「オレは今成長期なの。これからどんどん伸びて、ギルダーの奴だって抜かしてやるんだからな」
 目標はクレインぐらいの身長だ。いつかギルダーを見下ろすのがユーリの密かな夢だった。そのためには毎朝の牛乳は欠かせない。
 ギルダーを追い抜かした自分を妄想するユーリにシャナイアが尋ねる。
「そういえばあなた、サー・アルタリスとどういう関係なの?」
「え。何って言われてもただの船員と船長なんだけど」
 本当のことを言えば誘拐されてやって来たとか、ギルダーとの間にはもう少しややこしい事情があるのだが、そこまでのことを話す気にはなれなかった。
 何よりも、何故シャナイアがそんなことを尋ねてくるのかがわからなかった。
「だって、その髪は……」
 その時、背後で物音がした。
 人だ。
 突如現れた人にユーリたちは仲間がやって来たのだと胸を躍らせた。だが、現れた男はアルタリスの船員でも海軍の兵士でもなかった。
 それどころか、男はユーリたちに剣を向けていた。
 男が構えた剣を見て、シャナイアははっと息を飲んだ。
「レダ家の紋章……!」
「えっ? ってことは……」
 突如現れたジーク・ライデイン号とレダ家の紋章。
 考えられることはただ一つ。
「「幽霊?」」
 ユーリとシャナイアは互いに顔を見合わせた。二人の顔がさっと青くなる。
 亡霊が剣を振り上げて襲いかかってくる。二人は互いの背に隠れながら言い争っていた。
「あなた海賊の一員なんでしょ! なんとかしなさいよ!」
「だからオレはただの料理人だって! そっちこそ総提督なんだろ!?」
「幽霊相手に戦ったことがあるわけないでしょ!」
「オレもだよっ!」
 そうこうしている間に亡霊は迫ってくる。逃げ場はどこにもなかった。
 カティアはユーリの頭上からクロを抱え上げると、さっと声を上げた。
「クロ」
「ぎぃっ!」
 クロがすぅと大きく息を吸う。そして、
 ぼぉっ!
 クロの口から炎が吐き出されたのだ。クロが吐いた炎は亡霊に燃え移り、あっという間に燃え上がる。全身が燃えているというのに、亡霊は悲鳴ひとつすらあげなかった。声をあげずにのたうちまわる姿は不気味だった。
 呆気にとられている二人の手を、カティアが引っ張る。
「今のうちに逃げましょう」
「あ、ああ」
 燃える亡霊の脇をすり抜け、三人はその場から駆け出した。






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