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 アルタリスでハミンに与えられた役割は整備士。艤装を修理したり備品を修繕したりすることが主な仕事だった。船体部分の修理は船大工のガイルをはじめとする男連中の仕事だが、繊細な部分を修理するのがハミンの役目だ。幼い頃から物を弄るのが好きだったとか、特に銃系の武器を弄るのが大好きだった。
 そんなハミンの趣味は発明。持前の器用さを活かして新たな道具を作り出すのだ。もっとも、どうでもいい物が出来上がる確率のほうが高いが。
 発明に使う材料を、ハミンはいつも浜辺から調達していた。アルタリスがアジトを置いているこの島の周辺は潮の流れが速いので、よく漂流物が流れついてくる。流木や魚の死骸、時には難破船の積荷が流れてくることだってある。そういう時は他の船員たちも総出で積荷の引き揚げを行うのだ。
 ハミンの話を聞いて、ギルダーをはじめとする船員たちはどこかの船の積荷が流れてきたのだと胸を躍らせた。だが、ハミンの言う『箱』を見たギルダーは苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべていた。
「ね、箱でしょ?」
「ああ。確かに箱だが……これはアウトだろ」
 箱は大きな細長い木箱だった。漆塗りで、花の文様が掘り込まれた美しい箱だ。一見すると衣装箱のようにも見える。取引すれば良い価格で売れることだろう。
 だが、ギルダーたちが良い顔をしなかったのはその箱があまりにも異様だったからだ。箱はその美しさとは不釣り合いな鎖で雁字搦めにされていた。ご丁寧に錠までついている。
 まるで何かを封じ込めているかのようだ。
「何、これ?」
「さあな。だが良い物は入ってねえだろう。捨てとけ捨てとけ」
「こういうのって大抵良くないものが入っているからねぇ」
「よくないもの?」
 ユーリはシノに聞き返した。
「船に乗せるのは運ぶ荷物だけじゃない。時には捨てる荷物を乗せることだってあるんだよ。何せ、海に捨ててしまえばよっぽどのことがない限り引き揚げることはないからね」
「えっ。それじゃあこれは……」
「呪いの品でも入ってるんじゃないかな」
 ユーリはとっさに箱から離れた。どうりでギルダーたちが嫌な顔をするわけだ。ハミンが開けずにわざわざ報告に来たのもそれが原因なのだろう。
 海賊は意外と迷信深い。航海が上手くいくようにと願掛けをし、逆に不吉なものを避ける。呪いと名のつく物には誰も触れたがらない。ギルダーの言うとおり、再びこの箱は捨てられることになるのだろう。
 そう思った矢先、
 ガシャン!
 突然、クレインがカトラスで鎖を断ち切ったのだ。ギャラリーは騒然となった。
「おまえ、何聞いてたの!?」
「え。だって」
 クレインはけろりと答えた。
「こういうのって、どっかの海賊が海に隠そうとした財宝って可能性もあるだろ? どっちかわかんねーんだったら中身を見てしまえばいいじゃんか。良いもんだったら貰えばいいし、悪いもんだったらもっかい捨てればいい」
 箱にしまうのは何も悪いものだけとは限らない。なくさないように、あるいは誰かに盗られないように、大切なものをしまうことだってある。海賊に襲われた船乗りが自分の財産を奪われないようにわざと海に捨てるのはよくあることだった。
 良いものか悪いものか。開けてみない限り、中身はわからないのだ。
 意外なことにクレインが正論を言ったものだから、アルタリスのメンバーは呆気にとられていた。
 そして、
「それもそうだな」
 クレインの案にギルダーが乗った。
 二人は嬉々として鎖を解き始めた。
「や、やめとけって!」
「海賊なんざ元から博打打ちだ。さて、鬼が出るか仏が出るか……」
 止めようとはするものの、他の船員たちも中身が気になるようだ。そわそわと落ち着きがない。
 鎖が解け、ギルダーとクレインの手によってフタが押し開けられる。
「船長! 何が入っていたんすか!」
「中身は?」
 他の船員たちが一気に箱へと近寄る。呪いを恐れていた姿はどこにいったのやら。ユーリも中身が気になったので、みんなと一緒に箱の中を覗きに行った。
「こりゃあ……」
 箱の中身は人だった。
 女だ。
 眠るようにして箱の中に横たわっている。ウェーブがかかったブロンドの長い髪の女だ。歳はユーリより少し上ぐらいか、花盛りの頃だろう。肌は白くきめ細やかで、まるで陶磁器で出来た人形のようだった。幸いにも中はあまり浸水していないようだ。
「こりゃあとんでもない美人さんじゃないか。目ぇ開けたら絶対可愛いだろうな。いや、でも俺としてはもうちょいボンキュッボンであるほうが好み……」
「よし、捨てるぞ」
 見なかったことにしようと、フタを閉めようとするギルダーをユーリが慌てて止めた。
「いやいや待てよ! ひょっとして生きてるかもしれないじゃん!」
「こんなのどう見たって死体だろ。きっとどこかのボンボンが都合の悪い女を捨てようとしたに違いな……」
 その時、周りの船員たちがざわりと騒いだ。
 ユーリたちの背後で、女が起き上がっていたのだ。
 ユーリたちは驚いた。が、驚きはすぐに感嘆へと変わった。彼女があまりにも美しかったからだ。ユーリたちを見つめる瞳は澄んだ浅瀬を彷彿とさせる美しい青だった。
 とっさに後ずさりした船員たちも、落ち着きを取り戻したのか、彼女の容姿を見て「綺麗」だの「美人」だの口々に賞賛の言葉を述べていた。
「欲求不満な男どもは下がってろ」
 彼女に群がろうとする男たちをギルダーが怒鳴り声をあげて蹴散らす。
「おい、あんた。何で箱の中に入ってたんだ」
 ギルダーが尋ねると、彼女はきょとんと首を傾げた。
「なんで……?」
「名前は? どこから来た?」
「名前私は……」
 彼女はまるで自分に言い聞かせるかのように呟いた。
「わからない」
「おい、この女まさか……」
「ひょっとしたら記憶喪失なのかもしれないね」
「記憶喪失だって?」
 何を尋ねてみても彼女はわからないと首を横に振るばかりだった。自分の名前も故郷もわからないのだ。箱に入れられ海を漂っていたという異質な状況。そのうえ記憶喪失となれば彼女を可哀想と思わないわけがなかった。
「なぁ、ギルダー。これでも捨てるって言わないよな?」
「あのなぁ。テメェはこの前の轍を踏むつもりか?」
 そう言われることは十分に予測できていた。この前と状況が酷似しているからだ。
 あの時、ユーリが助けたミハイという名の遭難者は、父親のトマが送り出したスパイだった。ミハイはアルタリスに乗り込むためわざと溺れたフリをした。ミハイの演技にまんまと騙されたユーリは知らずにスパイを引き込んでしまったのだ。その結果、ギルダーが窮地に追いやられ、そして自分は――
「それでもオレは見捨てたくないんだ。彼女が困っているなら助けたい」
 この前のことを考えると実は騙されているのではないかと少し怖くもなる。だが騙されることよりも誰かを見捨てることのほうがよっぽど怖かった。彼女を見捨てたくないと思った。
「お願いだ」
 ユーリはじっとギルダーを見上げた。ギルダーもユーリを見つめ返す。
 やがて、ギルダーはため息をひとつもらした。
「俺はあんな目に遭うのは二度とごめんだ。だから、テメェがちゃんと責任を持て。いいな?」
「……うん!」
 ユーリの表情がぱっと明るくなる。
 嬉しかったのだ。ギルダーが彼女をアルタリスに置くと許してくれたことに対してではない。
『責任を持て』
 ギルダーは確かにそう言った。それはユーリをアルタリスの一員と認めてくれていることと同義だった。
ユーリはもう誘拐されて来た子ではない。正式なアルタリスの船員なのだ。
(ギルダーはオレのことをアルタリスの一員として認めてくれたんだ)
 そう思うとなんだか嬉しかった。






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