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「こりゃ酷ぇ有様だな。バラバラじゃねえか」
 ユーリがギルダーと共に主甲板に戻った時には他の船員たちが騒ぎを聞きつけて集まっていた。皆それぞれに何があったのか予想を立て、口々に囁きあっていた。しかし実際に何があったのかはわからずじまいだ。
 ざわつく船員たちを纏め、ギルダーは指示を出した。
「とりあえず金目のもんは一通り引き上げろ。このまま海の藻屑にしちまうなんざもったいねえ」
「アイアイサー」
 船員たちが引き揚げ作業にかかろうとする。海に散らばる船体の中に思わぬものを見つけ、ユーリはあっと声をあげた。
「なあ、あれ!」
「どうした?」
「ほらあそこ。あれ、ひょっとして人じゃないか?」
 ユーリが指差す先には木片にくっつく何かが見えた。くっついている、というよりもしがみついているようにも見える。人が木片にしがみついているのだ。
 だが。
「却下だ」
 ユーリが言わんとしていることを悟ったのか、ギルダーはユーリが言うよりも早く、たった一言で突っぱねた。
「まだ何も言ってねーだろ」
「テメェの言うことなんざ聞かなくてもわかる。どうせテメェのことだ。あれを助けようとか言い出すつもりだろ」
「それのどこが悪いんだよ。だって、人が溺れかけてるんだぞ。助けなきゃ!」
「あれが生きてるって確証がどこにもねえだろうが。俺は土左衛門をこの船に乗せたかねえぞ。第一、仮に生きてたとしてもだな……」
「あっ、動いた! やっぱり生きてるって!」
「おいこら、待ちやがれクソガキ!」
 ギルダーの制止を振り切り、ユーリは手摺りから身を乗り出した。さっきからバシャバシャと水面を叩く音が聞こえる。生きている証拠だ。ユーリは縄梯子を海に投げ込んだ。背後から舌打ちの音が聞こえてきたが、ユーリは一切無視することにした。


× × ×
「ほんっと助かりました! このご恩は一生忘れません!」  海から引き揚げた男は随分と貧相ななりをしていた。ひょろりと背ばかりが高くてなんだか頼りなさそうに見える。男はへこへこと何度も頭を下げていた。その度に壊れた眼鏡がずり落ちそうになっていた。 「あ、私はミハイと申します。商船で働いておりました」 「船、粉々になってたけど一体何があったの?」 「そうだ! 聞いてくださいよ!」  ミハイはずいと顔をユーリへと近づけた。思わずユーリが後ずさるほどの気迫だ。 「私たちの船は海賊船に襲われたんです!」 「か、海賊船?」 「ええ。奴らは音もなく現れたかと思うと、我々の船を襲い、積荷を全て奪い去ってしまったんです。それだけでは飽き足らず、私たちの船を大砲で木っ端微塵にしたのです。海賊という奴らは残虐で卑劣極まりない、最低な奴らですよ!」 「へぇ、そうかい」  相槌を打つギルダーの声が微かに震えていた。眉間の皺も常時より一層深くなっている。いくら私掠船とはいえ、アルタリスも海賊だ。ひとくくりに海賊を貶されて怒らないわけがなかった。ユーリは未だに海賊に対しての文句を言うミハイを止めようとしたが、もはや手遅れだった。 「そんなに海賊が嫌いならとっととこの船から下りろ。いや、俺が下ろしてやる」 「へ?」 「あの旗が見えねえのか、このめくらが」  ギルダーが顎で示した海賊旗ジョリー・ロジャーを見て、ミハイは自分が置かれた状況にようやく気がついたようだ。「ひゃあ!」と情けない声をあげて腰を抜かした。 「かかか海賊……!」 「そうだ。俺たちゃテメェが嫌いな、残虐で卑劣で最低な海賊だ。だからテメェがここでくたばろうが、俺たちにとっちゃどうでもいいんだよっ」 「ひぃっ! い、命だけはどうかご勘弁を!」 「やめろってギルダー!」  ミハイを足蹴にするギルダーを、ユーリは必死に止めた。 「これだから拾うのは嫌だったんだ。一文の得にもなりゃしねえどころか、拾い主を罵倒する陰険根暗野郎ときたもんだ。こんなのとっとと海に捨てちまえ」 「損得勘定で動くなんて、あんた最低だよ! 鬼、人でなし! 人を見捨てる奴は人間以下の畜生だ! 畜生に成り下がるだなんて、オレは絶対に嫌だからな!」  ユーリはきっとギルダーを睨みつけた。ユーリとて誘拐されてきた身だ。船長であるギルダーの逆鱗に触れれば、ミハイ共々海へ放り投げ出されるのかもしれないのだ。それでも誰かを見捨てて自分だけ助かろうとは思わなかった。自分の信条が許さないのだ。  ミハイは甲板へ頭をこすりつけた。 「どうかご慈悲を! 何でもしますから!」 「……ちっ」  ギルダーは舌打ちをひとつこぼすと、踵を返した。 「この船を隅から隅まで綺麗に掃除しろ。それがこの船に置いてやる条件だ。チリひとつでも残そうものなら即刻海に叩き落とすからな」 「あ、ありがとうございますっ!」 「おら、テメェらもさっさと自分の持ち場へ戻りやがれ。こいつの証言が本当なら“残忍な海賊”がこの辺りをうろついているはずだ。警戒を怠るな」  蜘蛛の子を散らすようにしてギルダーは野次馬たちを追い返し、自らも船員たちへの指示出しに戻った。ギルダーの姿が完全に見えなくなってから、ユーリはべーっと舌を出した。 「助けることの何が悪いってんだよ」 「うーん。今回ばかりは僕もギルダーに賛成だったかな」 「えっ、どうして?」  シノのことだからてっきり自分に賛同してくれるものだと思っていた。理解者であるシノに否定されて、ユーリは驚かずにはいられなかった。 「僕が副船長だから。そしてギルダーは船長だから彼を船に乗せようとはしはなかった。ユーリがしたことは目の前の命を助ける行為だ。もちろん褒められるべき行為だよ。でもそれが時として他の人を窮地に追いやることだってある。ギルダーは他の船員たちを守ろうとしたんだ」 「どういう意味?」 「僕たちは海へ出る際、綿密な計画を立ててから航海へと臨む。どの航路をたどるか、人員はどれだけ必要か、それにかかる費用はどれくらいか、とかね。だから予定外のことが起こるともとへと修正するために調整をかけなければならない。その皺寄せが船員たちに及ぶこともある。今回は人が一人増えてしまったことで、みんなの食い扶持が一人分減ったというわけだ」 「あっ」  ユーリはぎくりと体を強張らせた。料理人として食料庫を見ている自分が気づかないわけがなかった。料理をする時は人数と次の港までの日数を十分に計算した上で調理をする。計算を間違えれば港に着くまでに食料が尽きてしまう恐れがあるからだ。『作りすぎるな、失敗するな』。初めてアルタリス号に乗る時にギルダーに散々言われたことでもあった。  船で恐れることのひとつに飢えと渇きがあげられる。この広い大海原で食料や水が尽きることは死を意味していた。  自分はアルタリスのみんなを死へと近づけてしまった。 「シノ、オレ……」 「大丈夫だよ。もちろん食料は余分に積んであるし、僕の言ったことは過敏すぎるかなって思えるぐらいのことだ。一人乗せたぐらいじゃあ大して問題はないよ。でもギルダーがただ嫌だからとか酷な理由で彼を見捨てようとしたわけではないことを、ユーリにも知ってもらいたかったんだ。これは僕のエゴさ」  ふふっとシノは柔らかい笑みを浮かべた。その笑みが自分を励ますために浮かべてくれたものだと思うと、なんだか心苦しかった。 「それにしても、さっきの罵倒はこたえたなぁ。そうか、僕たちは人間以下の畜生か」 「オレ、ギルダーに酷いこと言ってしまった……」 「あれ。ギルダーのこと、嫌いじゃないの?」 「あ、あんな奴大っ嫌いだよ! でも酷いことを言ったのは確かだから」 「ほんと、ユーリは真っ直ぐだなぁ」  シノはユーリの肩をぽんと叩いた。 「その真っ直ぐさは僕たちにはないものだ。正直言うと羨ましいよ。ユーリにはそのままでいてほしいな」  自分のしたことは間違いだったのだろうか。  ユーリの頭の中でシノの言葉が何度も再生される。正しいのか、間違いなのか。ユーリは何度も自問自答を繰り返した。

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