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 ここのところ、あまり寝付きがよくなかった。クロが生まれてからだろうか。夢に故郷が出てくることが多くなった。クルセウスにある実家で平穏に暮らしている自分。今の海賊生活なんて考えられなかった頃の自分。夢に見ると故郷がより一層恋しくなる。
 いわばホームシックだった。
 ユーリはどんよりした気持ちで海を眺めていた。海は限りなく広い。この遥か先に自分の故郷があるとはわかっているのだが、今の状況ではどうあがいてもたどり着くことができない。不可能な現実を突きつけられて落ち込まないわけがなかった。
「なんだか浮かない顔をしているね」
「ああ、シノか。最近よく眠れないんだ」
「船の上で眠るのって慣れないと大変だよね」
 そう、今ユーリたちは船の上にいた。ユーリは再び航海に付き合わされていたのだ。長い航海になるから料理人が欲しいとか何とか。海賊たちの生活に馴染んでいる自分にため息が出そうになった。
「あんまり無理しちゃ駄目だよ。おすすめはできないけど、どうしても眠れないようなら薬もあるから言ってね」
「うん、ありがとう」
 どうやらシノはユーリが慣れない船旅で疲れていると思っているらしい。本当はホームシックによる不眠なのだが、それでも誰かに気遣ってもらえるのが嬉しかった。
 突然、ユーリの頭の上に乗っかっていたクロがきゅーきゅーと鳴き声をあげた。
「どうしたんだ、クロ?」
「きゅー!」
 クロは未発達な翼をぱたぱたと動かして仕切りに海を眺めていた。何かを知らせたいのだろう。シノは望遠鏡を取り出してクロが見つめる先を眺めてみた。
「なんだろう、木片がいっぱい浮いてるね。船首像らしきものも見える。こりゃひょっとして難破船かな?」
「えっ。嵐でもあったのか?」
「さぁ、わからないな。近くでもっと調べてみないと。ユーリ、悪いけどギルダーを呼んできてくれないかな」
「わかった」
 ユーリはクロを頭にしっかりと乗せ直すと、船長室へと向かった。
 船長室は船尾楼にある。船長室の前まで来たユーリは扉をノックしてみた。だが、中から返事はない。ユーリはそっと扉を開けた。
「……寝てる」
 ユーリが覗いた先にはソファーに体を横たえて眠るギルダーの姿があった。狭いソファーの上で、足を投げ出すような形で眠っている。ユーリは足音を立てないように気をつけながら、そっとギルダーのもとまで歩み寄った。
 改めてギルダーの顔を間近で見てみると若いと感じた。確かシノの話では二十七だったか。そのうえ端整な顔立ちをしているものだから、とてもではないが海賊には見えなかった。初対面の人ならば間違いなく騙されてしまうことだろう。
「寝る時ぐらいバンダナ外せばいいのに」
 ユーリの目線はギルダーのバンダナへと移った。ギルダーのバンダナには装飾品がじゃらじゃらと付いているので、寝る時は邪魔にしかならないはずだ。現に装飾品の一部が耳の下敷きになっていた。
 そういえば、ギルダーがバンダナを外したところを見たことがない。寝る時然り、食事の時もしっかりと頭部を覆い隠しているので、ユーリはギルダーの髪が何色なのか、どんな髪型をしているのかも知らなかった。
(ひょっとして……ハゲなのか?)
 そうでなければ部分的にハゲているのか。隠しているからには何か後ろめたいことがあるのだろう。こうも頑なに隠されていると妙な邪推しかできなかった。
 気になる。すごく、気になる。
 そんなことをしている場合ではないとわかっているのだが、一度興味を持ってしまえば好奇心が疼かずにはいられない。うずうずと、ユーリの指がギルダーのバンダナへと伸びた。
 が、主人の好奇心に煽られたのか、ユーリよりも一足先にクロがギルダーのバンダナに噛みついた。
「ぎっ!」
「あっ、こらクロ! そんなもん食ったら腹壊すっつーの!」
 ユーリは慌ててクロを引き剥がそうとした。だが突如、クロが勢いよく離れた。いや、離れたのではなく離されたのだ。
 ギルダーがクロを引き剥がしていた。
「あ……」
 ゆらりとギルダーが起き上がる。全身からは不機嫌オーラが漂っていた。
 まずい。ユーリの全身から汗が噴き出た。
「出て行きやがれ」
 ぺいっと投げ捨てられるようにして追い出された。甲板へと思いっきり叩きつけられ、ユーリは強く鼻を打ちつけた。鼻のてっぺんが真っ赤になっている。
「こんの不機嫌低血圧! ……って、それどころじゃないんだった。不審な漂流物を見つけたからシノが来いって!」
 ユーリがしばらくの間扉をドンドンと叩いていると、中から勢いよく扉が開かれた。身だしなみを整えたギルダーが出てきたのだ。バンダナはきっちりと締め直したみたいだが、寝ぼけているのか足取りがふらふらと覚束なく、ついにはマストにぶつかりそうになっていた。いくら緊急事態だったとはいえ、無理に起こしてしまったのがなんだか申し訳なく感じるほどだった。






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