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 真犯人が捕まったことで事態は収束した。
 首謀者であるウェインと実行犯の男は公安部へと引き渡された。その時に双子と公安部の間で一悶着あったとか何とか。
 毒の高熱で寝込んでいたギルダーが目を覚ましたのは、事件が解決してから三日後のことだった。

「俺と伯父さんで話し込んでいた時に奴がやってきて伯父さんを殺した。情けねえことだが俺は反撃すらできなかった。俺は逃げるので精一杯だった」
 ユーリ、シャナイア、カルスト兄弟の四人が揃った中で、ギルダーはあの夜の出来事を全てを打ち明けた。概要はユーリたちが予想した通りだった。暗殺者の男がルドルフを殺し、痛手を負ったギルダーは逃げるしかなかった。それが真実だった。
「すまなかったな、エドワード、オスカー。俺はあの場に居たってのに、伯父さんを守ってやれなかった」
「謝るのはこちらです。あなたを疑ってしまいました」
「猜疑心からおまえに剣を向けてしまった。その非礼を詫びよう」
「二度とおまえらとは戦いたくねえと思ったよ」
 ギルダーがにやりと笑う。自分が知らないところで戦っていた双方にユーリは思わず興味を抱いてしまった。いったいどんな戦いだったのだろうかとも思ったが、訊かないでおくことにした。
「俺の見たものはこんなところだ。質問があるならなんなりと受けつけるぜ、お姫さん?」
「いえ、結構です。おおまかなところは全て合っていますから」
「は? 合ってる?」
「暗殺者が全てを吐きました」
「え……?」
「殺害のいきさつや、自分が雇われの身であること、全てです。おおかた、首謀者が捕まった以上、自分が口を噤む必要はないと思ったのでしょうね」
「……いや、違うな」
 シャナイアの言葉をギルダーが否定した。
「例え依頼人が死のうが仕事上の機密は墓まで持っていく。それがプロの暗殺者だ。そんなヘマをするとは思えねえ。奴が全てを吐いたのは、おそらく……」
「?」
 一瞬、ギルダーの言葉が詰まる。何かを考え込んでいたようだが、ギルダーは意を決すると全てを話した。
「……信じがたいが、あの人は俺に情けをかけたんだ。俺が無罪であることを証明するために」
「え? どういうこと?」
「あの人は俺の兄弟子にあたる人なんだ。俺が暗殺者をやっていた頃のな」
 ユーリが「うん?」と首を傾げる。今、さらっととんでもないことを言ったような……
 意味を理解した途端、
「はあぁ!?」
 ユーリは思わず素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ、暗殺者やってたって! そんな話、オレ、一度も聞いたことねーぞ!」
「十二の時に身よりのないオレを拾ってくれた人がいてな。その人のもとで暗殺稼業をやっていた。言わなかったか?」
「聞いてねーよ! つか、重要なことをさらっと片付けようとすんなよ!」
「過去のことはあまりベラベラ喋りたくねえんだよ。おねしょを七歳までしていたとか、誰にも言いたくねえ秘密のひとつやふたつぐらい誰だってあんだろうが!」
「オレは六歳で終わったよ! って、話逸らすなっつの!」
 ギャーギャーと騒ぎ始めたユーリとギルダーに、遂にオスカーがぷっと吹き出した。不毛な親子喧嘩に、エドワードは呆気にとられている。シャナイアはどう反応していいか困っているというところだった。
「どうりで、あんたの戦い方が変わってるわけだ」
「まぁな。その時の癖が抜けきってねえんだよ」
 急所を的確に狙う技といい、素早い身のこなしといい、暗殺者としての技術だと言われれば納得がいく。攻撃をすればとっさに急所を狙ってしまうのは暗殺者としての癖が残っているからなのだろう。
「どうして暗殺なんかを?」
「あの時はそうすることでしか生きていけなかった。俺を拾った人はな、俺を駒として使うために殺しの全てを叩き込んだ。利用されているだけだとはわかってはいたが、かといってあの人に捨てられれば生きていけなかった。人を殺して食いもんを手に入れ、人を殺して居場所を手に入れ。役立たずだとわかれば捨てられると思っていたから、人を殺すことで自分が役立たずじゃないと必死に証明していた。俺は自分が生き残るために誰かを犠牲にしていたんだ」
 ルドルフを殺した獣の目。
 兄弟子の姿は、暗殺者として生きることを選んだ場合の自分の姿だったのかもしれない。一歩間違えていれば、自分も血に飢えた獣と成り果てていたことだろう。
「軽蔑するか?」
 ユーリはどちらとも答えられなかった。人殺しは嫌いだ。ギルダーが誰かの命を犠牲にしていたことは相当なショックだった。だが、ギルダーがそうしなければならなかった理由もわかっていた。十二歳のギルダー――ボーダマンの家を抜け出した頃だ。奴隷を強いられていた人生から抜け出したギルダーが、どこへも行く宛がなかったことは容易に想像がついた。
 両親は死に、故郷は遥か遠くに。周りに頼れる人はいない。異国の地をたった一人で彷徨っていた時に唯一手を差し伸べてくれた人がいた。その人が、自分に人殺しをしろと強いている。
 自分が野垂れ死ぬか、誰かを犠牲にして生きるか。究極の選択だったに違いない。
 そして、ギルダーは後者を選んだ。
 ギルダーを責める気にはなれなかった。
「……今の話は聞かなかったことにします」
 シャナイアがそう告げた。
「ディム・アルタリス。あなたの父親は貴婦人並みに秘密を多く持っています」
「貴婦人並みって……」
「それをどう捉えるのかは、あなた次第なのですよ」
 確かにギルダーは秘密を多く持っていて、極力それを他人に話したがらない。何故話さないのか、ユーリにはなんとなくわかったような気がした。
 離れられるのを恐れている。
 奴隷だったと、暗殺者だったと、話すことで自分から離れて行かないかと懸念している。今も、自分が暗殺者だったと明かすことを一瞬躊躇っていた。息子ユーリに軽蔑されないか、内心恐れていたのだろう。
 シャナイアたちが部屋を出て行き、二人きりになった部屋で、ユーリは呟くように言った。
「軽蔑だけはしてないから」
 わかっていた。それはギルダー自身が望んだ人生ではない、と。
「例えどんな生き方をしていようと、オレは、あんたのことをオヤジとして見ているから」
「……そうか」
 それだけ返すと、ふいっとギルダーはそっぽを向いた。顔を手で押さえている。わかりやすいなとユーリは思った。
 ふと、ぽつぽつと微かな音に、ユーリたちは窓の外へと目を向けた。水滴が窓にぶつかっては弾ける。雨が降ってきたのだ。
「降ってきたな」
「シノ、帰ってくるの遅いね。降られてなけりゃいいんだけど」
「あいつは昔から器用だからな。どっかで上手いことやり過ごしていることだろうよ」
 ただ、とギルダーは付け加えた。
「気持ちはまた別だ」
「そう、だね」
「どこかで上手いことやり過ごせているといいんだけどな」
 シノからウェインの人となりを聞いた。シノの学生時代の友人であることも。その友人が今回の事件の犯人だったのだ。心中穏やかでいられるわけがない。
 それに、あんなことがあっただなんて――
 あの時、シノはウェインを蔑むような目で見ていた。ギルダーを罠に嵌めたことに対する怒り。友人に裏切られた失望。シノにとってウェインのしたことは到底許すことができないのだろう。
 でも、もしウェインが首謀者でなかったのならば――
 二人のやり取りを間近で見ていたユーリだからこそわかる。
『頼れるのがおまえしかいなかったんだ』
 そう言った時のシノは、どこか寂しそうな表情をしていた。あれは全くの嘘ではなかったのではないだろうか。あの時のシノの行動は演技などには見えなかった。もしかしたら、シノはぎりぎりまで信じていたのかもしれない。
 ウェインがギルダーを殺そうとするまでの数分間。紛れもなく二人はただの友人だった。






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