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 市街地の北西部にその家はあった。
 ドンドンと激しく扉を叩く音。夜中なので反応がなかなか返ってこなかったが、それでも住人は応えて出てきてくれた。
「ったく、こんな夜中に誰だよ……って、シノ?」
「ごめんね、ウェイン。夜遅くに押しかけて」
 扉を叩いていたのはシノ、そしてそれを迎え入れたのはウェインだった。
 シノが真夜中に来訪してきたことも驚きだが、ウェインを更に驚かせたのはシノが背負っている人物だった。
「その後ろの、昼間の船長さん?」
 バンダナを外しているので随分と印象が異なるが、シノが背負っていたのは昼間に見たギルダーだった。顔は真っ赤で、何度も荒々しい呼吸を繰り返している。医者でなくとも異常であることはすぐにわかった。
「大分具合悪そうだけど」
「うん、急に具合が悪くなってね。薬を処方してやりたいから、部屋を貸してくれないかな」
「ああ、もちろんだ」
 ウェインはシノたちを快く迎え入れた。
 診察室としてウェインは自分の部屋を提供した。シノはベッドにギルダーを横たえると、てきぱきと処置を始めた。シノが忙しそうに動くさまを、ウェインは傍らでじっと眺めていた。
「ただごとじゃなさそうだな」
「ちょっと、ね」
 ウェインと話しながらも作業の手を止めずにいたシノだが、ぽつりと呟くように言葉をもらした。
「頼れるのがおまえしかいなかったんだ」
 そう言ったシノはどんな表情をしていただろうか。だが、ウェインにはその言葉を聞けただけで満足だった。
「俺で力になれるなら、何でも言ってくれ」
「ありがとう、ウェイン」
「当たり前だろ。俺たちは親友なんだから」
 ひとしきり作業を終えたシノが立ち上がる。
「台所を借りてもいい? 火を使いたいんだ」
「ああ。台所は部屋を出て右な」
「ウェイン。少しの間、ギルダーを見ていてくれるかな」
「おやすいご用だ」
 シノは必要な医療器具を手にして部屋から出て行った。部屋の扉がばたんと音を立てて閉まる。
 部屋に残されたのはウェインとギルダーの二人だけだった。
 ウェインは眠るギルダーの顔を覗き込んだ。熱に浮かされ、意識は深く沈み込んでいる。
 何をされても目覚めることはないだろう。
「悪く思わないでくれ」
 ウェインの手には光るもの――注射器があった。
 ウェインは眠るギルダーの腕を掴み、その腕に注射器の針を――

 と、その時だった。

 突如、シーツが跳ねのけられ、何かがウェインに掴みかかった。
 ユーリだ。
 ユーリはウェインの注射器を持った手を掴み、そのまま床へと押し倒した。どしんと大きな音が響く。突如現れたユーリにウェインは呆気にとられていた。
 だが、本当に驚くべきはその後だった。
 物音を聞いたシノが戻ってきたのだ。ただし、一人ではない。その隣にはエドワードの姿があった。
「何で軍兵が……!?」
 驚きを隠せないウェインをよそに、エドワードはウェインが持っていた注射器をさっと取り上げた。ウェインがあっと声をあげる。
「この注射器の中身、調べさせてもらうぞ」
「毒薬、だよね?」
「なっ……!?」
 シノの言葉にウェインは驚きを隠せなかった。
「大方、暗殺者が使ったものと同じ種類の毒を用いて、さも手遅れだったかのように見せかけようとしたんだろ」
「な、何を馬鹿なことを! 第一、何で俺がこの船長さんを殺さなきゃいけねーんだよ!」
「それはおまえが伯爵殺しの首謀者だからだ」
 シノはきっぱりと言い放った。
「あの暗殺者はあくまでも実行犯にすぎない。ただ殺すだけではなく、犯人は伯爵殺しの罪をギルダーにかぶせなければならなかった。そうなると予め手回しが必要だ。おまえは公安に匿名の密告をし、ギルダーが逃げられない状況を作った。あとは毒を用い、ギルダーがどこかで野垂れ死ぬのを待つだけだ」
「だからって、何で俺が犯人だと……」
「あいつはずっと伯爵家に行くのを渋っていたんだ。つまり、ギルダーが伯爵家にいつ行くかなんて予測不可能だ。今回の計画は、ギルダーが伯爵家に行くとわかっていなければ実行できない」
 計画を実行するには二人が揃っている場面を作らなければならない。だが、ギルダーとルドルフを引き合わせるのは容易なことではなかった。ギルダーは定例報告の時ぐらいしかクランベイルを訪れることはないし、足の悪いルドルフが屋敷を出るのは仕事の時ぐらいだ。
 だが、幸運なことにも、ギルダーはカルスト家に向かうことになった。だがそれは急遽決まったこと。知っていたのはユーリとシノとカルスト兄弟、そしてカルスト家の馬車に乗り込む姿を見たウェインだけだった。
「考えられるのはおまえだけだった。だから、ここに来た」
 この家を訪ねてきたのも。
 ウェインとギルダーを二人きりにさせたのも。
 全てはじめから算段したことだったのだ。
 頼れるのはおまえだけだ、なんて甘言を吐いたのも、全て嘘。
「シノ……俺を嵌めたな!」
「嵌めただって?」
 シノはハッと鼻で笑った。
「ウチの船長を罠に嵌めておきながらよく言うよ。このゴミ虫が」
 シノはまるで汚いものでも見るかのように、床に這いつくばるウェインを見下していた。
 ユーリは思わずぞっとした。シノのこんな表情を見るのは初めてだった。
 冷たい。まるで氷のような冷ややかな怒り。
「船長を、船員たちを苦しめたおまえを、僕は一生許さない」
 エドワードがウェインを引き立てる。ウェインは恨みがましい目でシノを見つめていた。連れて行かれる最後まで。だが、シノにはもはや興味のないことだった。
 シノの足がユーリへと向く。
「ごめんね、ユーリ。ギルダーの命を天秤にかけるような真似をして」
 そこにあの冷たい表情はない。いつものシノだった。
 シノから真犯人をあぶり出す作戦を聞かされた時は確かに驚いた。ギルダーの命を餌に真犯人を捕まえるのだと。一歩間違えればギルダーは殺されていたかもしれない。
 だが、ユーリはそれを全て承知のうえで、今回の作戦に乗った。
「わかっていたから。シノはギルダーを大切にしているって知ってたから、みすみす殺させるようなことはないって」
 いつだって、シノはギルダーのことを想っている。今日だって、ピンチに陥ったギルダーを必死に救おうとしていた。あれは演技でも何でもない、シノの真摯な姿だ。シノがギルダーを大切にしているのはアルタリスの船長だからというだけではないのだろう。二人にしかわからない特別な絆があるからだと、ユーリは思った。
「大切にしている、か」
 シノがぽつりと呟く。どこか自嘲気味に。
「……そんな、綺麗なものじゃないのに」
「シノ……?」
「ううん、なんでもないよ」
 シノはにこりと笑った。いつもの優しい笑み、見れば心がほっとする笑みだ。
 だけど、何故だろうか。シノの横顔がどこか寂しそうに見えた。






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