8


 毒で体力が落ちてしまっている今、逃げることこそが最良の策なのだろう。だが、背を向ければ間違いなくやられる。無防備な背中を見せれば容赦なく噛みついてくるだろう。
 相手もまた、ギルダーと同じ戦術の持ち主なのだから。
「まだ生きていたとはな」
「テメェは、やっぱり……!」
 闖入者は黒いフードで全身をすっぽりと覆い、口元も隠していたので目しか見えなかった。
だが、間違いない。
 奴こそがルドルフを殺した張本人だ。

 飛び散る血。倒れる伯父。
 射抜いたのは自分の短剣だった。
『おじさ……っ!』
 手を伸ばしてももう遅い。
 はっと気がついた時には体を逸らし、ナイフの標的を変えるので精一杯だった。右腕にナイフが突き刺さる。
 ギルダーが見据えた先には。
 真っ赤な、血に飢えた獣の瞳があった。

「よくも、伯父さんを……!」
 あの時は逃げることしかできなかった。相手の技量のほうが上だととっさに判断したからだ。だが、今は怒りのほうが勝っていた。
 相手が強かろうが、自分が弱っていようが、奴を殺したいと本能が叫んでいる。
「実に良い目だ……ギルダー」
 ギルダーは短剣を手に、敵に斬りかかった。毒に侵されているとは思えないほど俊敏な動きだ。
 だが、相手とて負けていない。……いや、相手のほうが上手だった。ギルダーが弱っているからではなく、もとより相手の実力のほうが上なのだ。ギルダーの攻撃の手を冷静に見極め、的確に攻撃を弾く。ギルダーが押されているのは第三者であるカティアでも十分にわかった。
 自分も加勢しなければ。そうは思うものの、カティアは二人の動きを目で追うのが精一杯だ。
 と、その時。一本のナイフがカティア目がけて飛んできた。
 偶然ではない。男が意図してカティアを狙ったのだ。自分を狙うナイフにカティアは恐怖で体が強張った。
 だが、ナイフがカティアに当たることはなかった。寸前のところでギルダーが受け止めたのだ。右腕を犠牲にして。
「船長!」
 ギルダーは右腕に刺さったナイフを一気に引き抜いて投げ捨てた。顔が激痛に引きつっている。
「女は関係ねえだろ!」
「無関係ではない。姿を見られたからには消さねばならぬ。我々暗殺者の道理をおまえが知らないわけでもないだろう」
「……ッ!」
 わかっていた。敵が暗殺者であることも、暗殺者が任務を完遂するまで追撃をやめないことも、全て。
「おまえは昔から甘かった。女子供となると殊更にな。その甘さは命取りだ――今も、また」
「……!?」
 がくりとギルダーの膝が折れる。体が震え、冷や汗が止まらない。毒が回ったのか。
 いや、違う。さっきのナイフにも毒が塗ってあったのだ。
「兵士が来れば困るのはこちらも同じだからな。早めに片をつけさせてもらうぞ」
 屋敷で使われた毒はわざと逃がすために遅効性の物を使っていた。だが今度の物は即効性だ。
 本気でギルダーを殺しにかかっている。
「さらばだ。ギルダー」
 男は動けないギルダーにナイフを向けた。
 と、その時だった。
 突然、男のフードが燃え上がったのだ。炎が男に襲い掛かる。いったい何が起こったのか、男は驚いたものの冷静にフードを脱ぎ捨てようとした。
 だが、その隙をギルダーが見逃さなかった。残されたわずかな力を振り絞って、男に掴みかかる。男を押し倒し、馬乗りになったギルダーは短剣を構えた。
 男の心臓目がけて。
「ギルダー!」
 遠くにユーリの姿が見える。
 目が、自分とよく似た瞳が駄目だと訴えていた。
 大伯父を殺した仇だというのに、自分たちを窮地に追いやった敵だというのに、それでもユーリは殺しを認めなかった。
 いや、本当はわかっていた。
 父親に本当の人殺しになってほしくないのだと。
 ギルダーは短剣を投げ捨て、男の前髪を掴んで地面へと思いきり叩きつけた。男は呻き声ひとつあげ、ぴくりとも動かなくなってしまった。
 息がある。
 自分は殺していない。
 はあはあと荒い呼吸を繰り返すギルダーのもとに、ユーリたちが駆け寄ってきた。
「ギルダー、大丈夫!?」
「大丈夫だ、死んでねえ。俺も、こいつもな」
「まったく、おまえが殺してしまわないかと内心ひやひやしたよ。この男に口を割らせないと無実を証明するのが難しくなるからね」
「俺だって、大人になったんだ。昔とはちが……」
 突如、ギルダーの体がぐらりと揺らぐ。
「ギルダー!」
 毒がかなり回ってしまっているのだ。シノは薬を用意し、ギルダーを抱え起こした。
「解毒剤だ。飲め、飲むんだ」
 口元まで薬を持っていくが、ギルダーの口は動かない。毒のせいで口を動かすこともままならないのだろう。ギルダーが自力で飲めないとわかると、シノは口の中に直接指を突っ込んだ。シノのあまりにも強引な手にユーリとカティアは思わず目を丸くした。
「ユーリを置いて逝くなんて許さないからな!」
 薬を喉へと押し込む。ごくりとギルダーの喉が弱々しくも嚥下したのを見届けたシノは、ギルダーの髪を掻き撫でた。
「よく頑張ったね。しばらく眠ってていいよ」
 そう言われて安心しきったのか、ギルダーの目がとろりと微睡む。決して安らかな寝顔とは言えないが、ちゃんと胸が上下しているのを見てユーリはほっと胸を撫で下ろした。
「これで大丈夫?」
「いや、まだだ。今のは一時的な処置にすぎない。どんな毒が使われたのかを調べて、適切な処置をしなきゃ。どこか安全で、ギルダーを横にできる場所を探さないと」
 傷の処置を終えたシノは意識のないギルダーを背負った。
「ひとつ、心当たりがあるんだ。ユーリ、付き合ってくれないか?」
 シノはユーリの目を真っ直ぐに見つめながら言った。






[2015年 1月 11日] 初稿

inserted by FC2 system