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「あれれ? ユーリくん元気ないけど、どったの?」
 ぐったりとテーブルに突っ伏すユーリを見かけてハミンが思わず声をかける。アジトに戻ってからというものの、ユーリはずっとこの調子だった。朝食を食べる気にもなれなかった。
「クロすけを親元に戻すのに失敗したんだってさ」
 ユーリの代わりにクレインが事情を説明する。カティアがユーリを慰めていた。
「大丈夫。次はきっと上手くいくわ」
「だといいんだけど……」
 元気のないユーリを励ますようにクロもぴぃぴぃと鳴き声をあげていた。まさか自分のことだと思ってもいないことだろう。クロはまだ親のことを認識できていないのだろうか。
「見ただけじゃあやっぱり実感わかないよなぁ……」
 ぽつりと呟くユーリにハミンは目を丸くした。そっとカティアに耳打ちをする。
「もしかして、ユーリくんはクロと自分を重ねてる?」
「そうみたい」
 あの時ハミンとカティアは立ち会っていなかったが、ギルダーがユーリに父親であることを打ち明けた話はアルタリス全員に広まっていた。ユーリとギルダーが親子であるという事実に誰もが衝撃を受けた。だが何よりも気がかりだったのはその後の二人の様子だ。
 どうにもギクシャクとぎこちない。
 互いに親子であることを認識してしまったからだろうか。特に事実を知ったばかりのユーリはギルダーにどう接したらいいのかわからないのだろう。以前と同じように接するべきなのか、それとも『父さん』と呼ぶべきなのか。ギルダーと話す時にどうしてももごもごと口ごもってしまう。
 そんな矢先にこの出来事だ。親を認識できないクロが自分と重なり、ユーリにとってギルダーを父親だと気づくことができなかった事実が心苦しいのだ。
「なんつーかさ、似てるよな」
 ぽつりとクレインが呟いた言葉にハミンがぎょっと目を剥く。今のユーリにとっては傷口に塩を塗るような言葉だ。なんと無神経なのだろうか、この男は!
 ハミンはクレインを睨みつけ、しまいにはポカポカと殴りつけた。
「このバカクレイン! ニブチン!」
「いたたた! 何で殴んだよ! だってさぁ……」
「あ、ユーリ。よかった、戻ってきてたんだね」
 クレインの言葉は突如やってきたシノによって中断された。シノはユーリを見つけるなりホッとしたような表情を浮かべた。
「そういやシノ、さっきからあちこち行ったり来たりしてっけど、何かあったのか? 朝の時もユーリんを探し回ってたみたいだし」
「実はギルダーが体調を崩しちゃってね。熱出して寝込んでるんだ。様子を見に行ったり、薬を作ったりと朝から大忙しさ」
「えっ、せんちょー具合悪いの?」
「もしかして、マグなんとか症ってやつのせいで……?」
「『慢性マグ欠乏症』ね。ユーリ、知ってたんだ」
「うん。前に本人から聞いた」
 以前フェリアス号に捕らわれた時にギルダーから聞いた話だ。普段所有しているマグの量が平均値よりかなり低いからその落差のせいでいつも不調の状態だとか。
「マグの過度な不足は体調にも影響を与えるからね。マグが低下すれば抗体も作りにくくなる。抵抗力の低いギルダーはよく季節の変わり目なんかに体調を崩すんだ」
「へぇ、初耳だな」
「あいつ、自分が弱いと感じる部分を人に話すのを極端に嫌っているからなぁ」
 どうやら体質のことを他の船員に話していなかったらしい。初めて聞いた話にクレインとハミンが驚きを見せていた。
「あれ? でも確かにせんちょーってしょっちゅー具合悪そうだけど、寝込んでるところって見たことないような」
「ギルダー自身が不調に慣れてしまっているからね。ちょっとしたぐらいじゃあ休んだりはしないよ。ただ、今回は熱が高すぎたから無理にでも寝かせた。……あいつ、あんな状態でもやりたいことがあるって聞かないからさ」
「……“無理に”って部分は怖ぇから聞かねーでおくわ」
 クレインが力なく笑う。
「ユーリ。悪いけど何か消化の良い物でも作ってやってくれないかな。本人は食欲がないって言ってたけど、薬を飲むには何か腹に詰めておかないと胃が荒れちゃうからね」
「うん。わかったよ」
「ああ、しばらくは起きないと思うから昼時で構わないよ。もっとも、起きないんじゃなくて“起きられない”なんだけどね」
「?」
 シノの言葉の意味がわからずユーリは首を傾げた。隣でクレインが「くわばらくわばら」と体をぶるりと震わせていた。


× × ×
「あんの、暴力医者め!」  ところ変わりギルダーの部屋。部屋の主であるギルダーは一人悪態をつきながらベッドの中でもがいていた。本当は起き上がりたいのだが、起き上がれる状態ではなかったのだ。  何せ、手足を縛られているのだから。原因はシノだった。  話は朝までさかのぼる。朝目覚めた時から倦怠感が酷く、頭もぼんやりしていたから熱があることにも気づいていた。だが、元より体質のせいで体調不良に陥りやすいギルダーにとってはいつものことなので、大して気にもかけていなかった。  が、 「馬鹿じゃないの?」  朝の検診に来たシノに第一声で罵倒された。 「こんなの診察しなくたってわかるよ。その様子じゃ熱が高いんだろ。そんな状態じゃあ船員たちに指示を出すどころかまともに歩くこともできないだろう」 「あ? 大丈夫だよ。こんなのいつものことなんだから」  季節の変わり目は特に体調を崩しやすい。毎年のことだった。体がだるく感じるのも今だけで、動いているうちに慣れてしまうだろう。ギルダーは楽観していた。  だがシノは頑なに譲らない。立ち上がろうとしたギルダーをベッドに押し留めた。 「いや、絶対に大丈夫じゃない。今日はおとなしく寝ときなよ」 「だが、俺にはやらなきゃいけねえことが……」 「医者の言葉が聞けないっての?」  ワントーン低くなった声に、ギルダーはびくりと体を震わせた。シノはにこにこと笑みを浮かべているが、その笑みがギルダーにとっては恐ろしく感じられた。  やばい、間違いなく怒っている。  シノは医者として誇りを持っている。患者を見捨てるような真似はしない。もし患者自身が無茶をして状態を悪化させるような真似に出るならば無理にでも引き留めるほどだ。ただし、その引き留め方は傍から見れば『横暴』としか言いようがなかった。もしも瀕死の人間が病床から逃げ出そうとするならばシノの選択は『容赦なく足を折る』だ。シノの言い分としては「骨折で死ぬことはないから」ということらしいが、折られる側としてはたまったものではない。今のギルダーはそれと全く同じ状況だった。  まずい、逃げないと。  危機本能が叫ぶままにギルダーは逃げ出そうとした。熱で鈍っている頭ではろくに判断もできなかったらしい。熱で弱った体では足がふらついて立つことすらままならなかったし、何よりも逃げ出すのは火に油を注ぐ行為だった。  ふらふらな患者、もとい獲物を目の前にして、シノはにこりと笑った。 「ギルダー、歯ぁ食いしばってね」  ごすっ!  容赦のない一撃がギルダーの腹にめり込んだ。病で弱った体から意識を奪うには十分だった。  そうして気がついた頃には文字通りベッドにつなぎ止められていたというわけだ。手足を縛られ、ベッドから出るどころか起き上がることもかなわない。ベッドの中でおとなしくしているしかなかった。 「あちぃ頭いてぇ……」  満足に動けないうえに熱による頭痛がずきずきとギルダーを苛む。朝より体調が酷くなっているのはシノのせいではないかと疑いたくもなる。  縄がほどけそうにないことがわかると、ギルダーは諦めて枕に顔をうずめた。 「結局、今日は何もできねえな……」  やらなければならないことがたくさんあるというのに。特に『あのこと』は早く事を進めてしまいたかったのだが。 「ま、あいつが嫌と言えば何もできねえのは一緒か」  熱で鈍った頭ではそれ以上考える気になれず、ギルダーは体が望むまま眠りについた。

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