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「二十四・六……うん、いつもとあまり変わりないね」
 いつもの数字を叩き出した計器を見て、シノはうんと大きく頷いた。続いて脈を計ったり心音を聞いたりと、テキパキと検診をおこなった。もはや見慣れた光景となっているのだが、医学に通じていないギルダーにとってはシノのやっていることが一種の儀式に思えた。
「あれから体調に変化はない?」
 この質問も何度目だろうか。うんざりとした面持ちでギルダーは答えた。
「大丈夫だっつってんだろ。どんだけ心配性なんだよ、おまえは」
「そうは言うけど、マグ値があんなふうに急激に上昇するのは尋常じゃないことなんだよ。ただでさえおまえは異常な体質の持ち主なんだから、もっと自分の体調に気を遣うべきだ」
 なかなか理解してくれない友人にシノは思わず深いため息をついた。
 マグは人間を構成する要素のひとつである。体内のマグが急激に減少すれば体は不調に陥り、活動に支障をきたす。その逆もまた然り。ただし、後者の現象はあまり見られない。人は生まれながらにして所有できるマグの量が予め決まっているからだ。個人が所有できるマグの最大量を『総マグ値』と呼び、現在所有しているマグの量を『マグ値』と呼ぶ。大抵の人は総マグ値より少し低めが平均マグ値であり、なんらかの拍子にマグ値が増加したとしても微々たるものでしかなかった。
 だが、ギルダーの場合は違う。
「異質って、人よりマグ値が低いだけだろ」
「人よりマグの平均値が異常に低くて、人より総マグ値が異常に高いことが問題なんだって、何度言ったらわかるんだよ。そもそもマグってのはねぇ……」
「へいへい、わかったわかった」
 シノは医学のことを語りだすと止まらなくなる。長い付き合いでそれがわかっているギルダーは適当に話を切り上げることにした。
「気を遣えっつったって、俺はおまえじゃねえんだからマグだのアーツだの小難しいことはわからん。だが、海賊の世界なんざ元より死と隣り合わせなんだ。気ぃ張ってないわけがねえだろ」
「……それもそうだね。悪かった」
 シノは素直に謝った。
「俺が海賊であることもこんな体質であることも今に限ったことじゃねえだろ。どうして今更ぐちぐちと言われなきゃいけねえんだか」
「ユーリを見てるとね」
「うん?」
「ユーリのことを見ていると、おまえが無茶をしないかと気がかりでたまらないんだ。どうもおまえはユーリのこととなると冷静さに欠ける」
「…………」
 シノの言葉があまりにも正論過ぎて、ギルダーは何も言い返せなかった。
 ユーリが海賊の人質になった時、つい衝動的に行動してしまった。ボーダマンの船でもユーリのことで暴走しそうになった。シノが言った通り、ユーリのこととなるとどうにも周りが見えなくなってしまう。この異様さには他の船員も薄々勘づいていることだろう。
 ――まいったな。
 あまりにも単細胞すぎる己に、ギルダーは頭をガリガリと掻いた。
「おまえが何故ユーリにこだわるのかは訊かないでおくよ。でも、これだけは約束してほしい。無茶はしないって」
「肝に銘じておく」
「ああ、それと」
「まだお説教する気かよ」
 げんなりとするギルダーに向かって、シノはにっこりと笑みを浮かべた。
「僕、検死をするのは嫌だからね」
「不吉なことを言うなよ……
× × ×
「あれがクランベイルか!」  潮風を全身に感じながら、ユーリは手すりから身を乗り出した。遠くに陸地が、街並みが見える。あれこそが王都クランベイルだ。ユーリは頭の上で眠っていたクロを起こし、一緒にクランベイルの街並みを眺めていた。  これまでギルダーたちについていろんな島を訪れてきたが、リーレイアの本土に行くのはユーリにとってこれが初めてだった。 「そういや、おまえが乗ってるなんて珍しいな」  着々と入港準備を進めている中、ハミンの姿を見かけたクレインが思い出したように言った。  ハミンが航海について来るのは珍しいことだった。ハミンの主な仕事は艤装の細やかな修繕作業だ。大まかな修繕は船員なら誰でもできる(ユーリは見習いなので全くできないが)ので、わざわざついて来る必要がないのだ。長い航海ならともかく、三日とかからないクランベイル程度の距離でついて来ることはまずなかった。 「女には女にしかわからないことがあるから、せんちょーがついて来いって。つまりあたしはカティアの世話係ってこと」 「おまえが世話係ぃ? 自分の世話もできねぇ奴が何言ってんだよ。ユーリんで十分だろ」 「月の物になったらあんたたちが彼女の下着を洗うわけ?」  クレインがぶっと吹き出す。“月の物”が何かわからず、カティアに訊こうとしたユーリだが、寸前のところでクレインに首根っこを掴まれ止められた。 「テメェら。いつまでもピーピーと騒いでんじゃねえぞ」  その声に、船上の喧騒がぴたりと止んだ。船長室からギルダーとシノが出てきたのだ。これから指示を出すのだろう。船員たちの注目が集まる。クレインにヘッドロックをかけられそうになっていたユーリもなんとか抜け出してギルダーのほうを見た。  が、ユーリの思考がぴたりと固まった。 「そ、その頭……!」  ユーリはギルダーを指差し驚きの声をあげた。  ユーリが驚くのも無理はない。ギルダーのトレードマークとも言える青いバンダナがなかったからだ。代わりに黒々とした髪が姿を現していた。  ユーリは思わず叫んだ。 「髪がある! ハゲてない!」 「おいこら。誰がハゲだって?」  ユーリの言葉に船員たちが笑いそうになる。だが、ワントーン低くなったギルダーの声に笑ってはいけない雰囲気を察したのか、みんな必死に笑いをこらえていた。大笑いしているのはクレインだけだ。 「ぶっはは! 確かにハゲに見えるもんな……あいてっ!」 「いつまでも笑ってんじゃねえよ、馬鹿」  すこーん、と小気味の良い音と共にクレインの頭にバケツが当たった。ギルダーが手近にあった物を投げつけたのだ。投げナイフが得意というだけあって、実に見事な投擲だった。 「俺の髪のことはどうでもいい。本題に入るぞ。クランベイルに入港したら海軍本部へ出向く。行くのは俺と例の娘、シノ、ユーリの四人だ」 「えっ。オレも?」  まさか指名があるとは思わなかったユーリは思わず聞き返した。 「当たり前だ。おまえが彼女の面倒を見るんだろうが。ちゃんと最後までついて来い。他の奴らは俺たちが戻ってくるまで船上で待機だ」 「はい、せんちょー! 街に行くのは駄目?」 「見張りさえ残しておいたら交代で行っても構わねえ。だが、ここは海軍と王族のお膝元だ。節度ある行動を心がけ……」 「クランベイルに来たら買いたい物がたくさんあったんだよね! ひゃっほー!」  おそらく『行っていい』までしか聞いていなかったことだろう。まだ渡し板の準備もしていないというのに、飛び降りるようにしてハミンは船から飛び出して行った。年頃の女とは思えないほど俊敏で軽やかな動きだった。 「ありゃ聞いてないね」 「…………」  ダン!とギルダーは手に取った櫂で甲板を打ち鳴らした。『今度飛び出して行った奴には容赦なくこの櫂を投げつける』という無言の圧力でもあった。 「いいか。くれぐれも『節度ある行動を』だ。豚箱にぶち込まれた奴は問答無用で置いて帰るからな!」 「「い、イエッサー!」」

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