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 目覚めの良い朝だった。何せ、今朝はギルダーに起こされずに済んだのだから。ユーリは上機嫌で仕事へと向かった。
 朝一番の厨房に立ったユーリはカマドに向き合うと、大きく深呼吸をした。じっと気を集中させる。想像するのは火だ。カマドでごうごうと燃え盛る炎。するとどうだろうか、ユーリが思い描いたとおり、火が自発的についたのだ。
「へぇ。見事なアーツだね」
「あ、シノ。いたのかよ」
「うん。邪魔しちゃ悪いと思って」
 ユーリはシノの心遣いに感謝した。あの時声をかけられていればきっと失敗していただろう。
 アーツは人が生まれながらにして神様から与えられた能力だ。誰もが必ずひとつは持っている。何もないところから有を生み出したり、既にあるものを思うように変えたりする、まさに神のような技だった。
「ユーリのアーツは火か」
「そうだよ。火を発生させたり、既にある火の勢いを調整したりできるんだ」
「なるほど。どうりでユーリが作る料理は美味しいんだね」
 アーツは個人によって特色がさまざまであり、ユーリの場合は火を操るアーツだった。火を発生させ、火力を調整することができるので、まさに調理向けのアーツである。料理をする際にはアーツを使って、薪だけでは調整しきれない微妙な火加減を実現させていた。
 ただし、アーツの発動には集中力を要する。いくら生まれた頃から慣れ親しんだ能力とはいえ、何かがあると気が散って上手くアーツを発動できなくなる。アーツを使う際にはしっかりと集中しなければならなかった。
「そういえば、この前船に乗った時に思ったけど、みんな戦いの時にアーツを使わないのか? 軍隊だったらアーツ使いが必ずいるのに」
 アーツはその能力によって武器にもなる。ユーリのアーツなどはまさに攻撃向けだ。アーツを武器にして戦う兵もいる。だが先日の戦いでは誰もアーツを使っていなかった。
「実を言うとね、海賊にとって戦闘型のアーツ使いは足手まといにしかならないんだ。この前みたいに混戦になることがほとんどだから、かえって邪魔になっちゃうんだ」
「なるほど」
 シノが言わんとしていることをユーリは理解した。アーツは威力が高いものが多く、軍隊においてアーツ使いは重宝される。だが、混戦向きではない。先に述べたとおりアーツは集中力を要するので、混戦状態ではとてもではないがアーツが使えないのだ。なおかつ、威力の高いアーツとなれば味方までも巻き添えにしてしまう可能性もあった。
「もちろん、支援型のアーツ使いは重宝しているよ。風属性のアーツならば航海の時にすごく役立つしね。ああでも、僕たちリーリア人は平均的にマグの所有量が少ないから、専属的なアーツ使いは滅多にいないんだ」
「えっ。そうなんだ」
 マグは人間を構成する要素のひとつであり、これをどれだけ所有しているかによってアーツの威力が左右すると言われている。だが多くのことは未だに解明されていない。現在も世界中の学者たちがマグの研究に携わっているが、今の時点で理論が確立されているのは、人間は生まれてきた時にマグを所有できる量が決まっており、それには個人差があるということぐらいだった。
 しかし、所有するマグの量によってアーツの質が変わってくるのも事実だ。マグの所有量が多い人はアーツの威力が高く、使用限界数もマグ量の低い人と比べて多く使える。
「リーリア人はガリア人と比べてマグの所有量が低めなんだ。もとからあまり使えないから、アーツはそんなに重視していないんだよ」
「なんだか意外だな。クルセウスはアーツ重視社会だってのに」
 ユーリが生まれ育ったクルセウスではアーツひとつで人生が大きく左右される。アーツによって職業が決まることだって無きにしも非ずなのだ。だからこそ、クルセウスでは幼い頃からアーツの使い方をマスターする。クルセウスにおいてアーツの使えない者は稀だった。
「残念ながら、僕たちはユーリみたいにアーツを器用に使えないんだよ」
「それじゃあアルタリスにアーツを使う人はいないってこと?」
「いや、そうでもないよ。僕も治療をする時にはアーツを使っているし。一応ね、戦闘中に器用な……てか、奇妙なアーツの使い方をしている奴もいるんだよ」
 そう言うと、シノはすっと視線を動かした。その先には朝飯を今か今かと待ち構ええているクレインの姿があった。
「うん? 俺になんか用?」
「実はクレインの奴、この前の戦いでアーツを使ってたんだよ」
「え! そんなふうには見えなかったけど」
「クレインのアーツは内発型でね。アーツで自分の身体能力を上げることができるんだ」
「そうそう。おかげで俺は風のように素早く動けるってわけ」
「ま、無意識に使ってるらしいけどね」
「それ、使ってるって言えるのかよ?」
「いーんだよ。結果的に役に立ってりゃあ」
「シノのは具体的にどんなアーツなんだ?」
「僕のは干渉型でね。他人のマグに働きかけて治癒力を上げたりするんだ」
「へぇ。なんだかシノらしいな。それじゃあギルダーは?」
 ユーリが尋ねると、二人は気まずそうに顔を見合わせた。何かまずいことでも訊いたのだろうか。
「ギルダーは、ねぇ」
「ありゃダメダメ。なんせギルはマグがすかんぴんだから」
「へっ?」
 思いも寄らないことを聞いてしまった。ギルダーの意外な秘密を聞いてしまい、ユーリはなんだか申し訳ない気持ちになった。


× × ×
 その噂のギルダーがみんなの前に姿を現したのは昼過ぎのことだった。今日はアルタリス定例会議の日だ。 「さて、今年もクロトビチョウの帰巣の時期がやってきたわけだが」  ――クロトビチョウ?  『帰巣』と言っているからには何かの生物なのだろうが、聞いたことの無い名称だった。何のことかさっぱりわからず、ユーリは首を傾げた。 「誰が卵を取りに行くか決めんぞ」 「はーい! 俺が行く!」 「テメェは却下だ。調子に乗って卵を割るようなバカはいらん、バカ」 「バカはひでーな。昨年はちょっと割っちまっただけじゃんか」 「アジトに戻ってきた頃には中身がすっからかんだったろうが。どこがちょっとだ」  ギルダーとクレインが言い争っている隙に、ユーリは隣にいたシノにこっそりと尋ねた。 「なあシノ。クロトビチョウって何?」 「ああ、クロトビチョウっていうのはね……」 「この島の山頂に巣を持つ生物だ」  ふと見上げてみると、さっきまで口論をしていたはずのギルダーが、いつの間にかユーリとシノの間に割って入っていた。 「毎年この時期になると卵を孵化させるために裏山山頂にある巣に戻ってくるんだがな。そいつの卵がすげえ美味だ」 「へぇ。そりゃ食べてみたいな」  美味いと言われれば料理人魂が疼かずにはいられない。ユーリの声には自然と喜色が混じっていた。  それを見て、ギルダーがにやりと笑った。 「ちょうどいい。今回の名誉ある卵取り係は料理長に任せるとするか」 「はぁ? 何でオレが!」  食べてみたいとは思ったが、まさか任命されるとは思ってもいなかった。突然の指名にユーリはギルダーへと食ってかかった。 「クロトビチョウの卵取りは本来新入りの仕事だ。“海賊見習い”にはまさに適任だろ」 「あの時はその場しのぎで言っただけで……!」 「第一、卵を取って帰ってくるだけの単純な仕事だ。ガキにもできるだろが」  小馬鹿にしたようなギルダーの態度に、ユーリはかちんときた。暗に「おまえはできないのか」と言われている。喧嘩を売られて黙っていられるほど、ユーリは温厚な性格ではなかった。売り言葉に買い言葉だ。 「そんなに言うならやってやんよ!」 「言ったな。よーし、決まりだ」  鼻息を荒くするユーリの隣で、シノがあーあとため息をついていた。後になってその意味を知ることになろうとは、その時のユーリは思いもしなかった。

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