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 屋敷中の人間が広間へと集められた。就寝していた庭師、明日の朝食の支度をしていた料理人、事件を聞きつけた執事、誰ひとり例外なく、屋敷にいた人間全員だ。
 だが、一人だけ足りない――ギルダーがいないのだ。
「警邏の者に伝えたから、もうじき捜査が入るだろう。だが、その前にひとつ確認しておきたいことがある」
 エドワードはシノの目の前に血まみれの短剣を差し出した。血だまりに転がっていたあの短剣だ。ユーリは心臓を鷲掴みにされた気分だった。
「ドクター・グレイシス。正直に答えてほしい。これはギルダーの物だな?」
「……ああ」
 シノもこの質問がくることは想定済みだったのだろう。包み隠さず正直に答えた。
 エドワードとオスカーが何を思っているのか。シノの言葉が何を意味するのか。子どものユーリとてわからぬわけではない。
 ルドルフを殺したのはギルダーだ。暗にそう言われている。
「待ってくれ。ギルダーにとってルドルフさんは伯父じゃないか。殺す理由なんてどこにもない!」
 ユーリはたまらなくなって叫んだ。ギルダーが無意味な殺しをするような人間でないことはユーリ自身がよく知っていた。ルドルフは憎い仇でも討つべき敵でもない。ましてやルドルフはギルダーにとって義理の伯父。ギルダーがルドルフを殺すなんてありえない。ユーリはそう思っていた。
 だが、
「君は父上から話を聞いていないのか?」
「話? おじいさんの話なら聞いたけど」
「そのシュヴァルツ船長と父上の間で何があったかだ。その様子だと、父上は君に話していないのだろうな。だから夕食後にギルダーだけを呼んだのか」
「どういうこと?」
「父上はギルダーに謝罪しようとしていたのですよ」
「えっ、謝罪?」
「シュヴァルツ船長を、ギルダーの父親を殺めたのは自分だと、父上はそう言っていた」
「な……っ!?」
 これにはユーリだけではなく、シノも驚かずにはいられなかった。
「そんな馬鹿な。伯爵がシュヴァルツ船長を殺しただって……!?」
「そんな! だって、初代アルタリス号は海賊に襲われて沈んだはずじゃ?」
「詳しいことはわかりません。ただ、父上がギルダーに事実を話し、謝罪しようとしていたのは確かです。だから、私たちは嫌がるギルダーを何としてでも父上に会わせる必要があった」
 息子であるユーリをだしに使ってでも。エドワードとオスカーが今までにない強行策に出たのはそのためだったのだ。
「ユーリがその話を知らないということは、父上はギルダーだけにその話をしたのだろう。その時に二人の間で何があったのかはわからない。だが、激昂したギルダーが父上を殺めたとも考えられなくもないのだ」
 シュヴァルツを殺したことが事実であれば、ギルダーにとって二十年前の過去が違った意味を持ってくる。ルドルフは両親を殺しただけではなく、奴隷として生きなければならなかった悲劇の元凶となるのだ。ギルダーは飼い主であったトマを殺したいほど憎んでいる。その感情がルドルフに向いたとしてもおかしくはない。
 言葉が見つからなかった。
 ギルダーがルドルフを殺したいと思うのも道理だ。
 だが――決して許されることではない。
「父上がギルダーの父親を殺したのが事実ならば、それは許されることではない。だが……だからといって、ギルダーが父上を殺していい理由にはならない」
 エドワードとオスカーの表情に怒りが見えた。彼らは父親を殺されたのだ。殺した犯人を憎いと思うのもまた当然の感情だ。
 ユーリは信じたくなかった。
 ギルダーがルドルフを殺しただなんて。
 ギルダーが、エドワードとオスカーに自分と同じ思いをさせただなんて。
 だが、状況はユーリの気持ちを嘲笑うかのようであった。行方不明のギルダー、殺害現場に残されたギルダーの短剣。これではギルダーが犯人だと言っているようなものではないか。状況ははっきり言って最悪だった。
(どこに行っちまったんだよ、ギルダー……!)
 その時、扉が開いた。ユーリは一縷の望みを抱いたが、残念ながらやってきたのは兵士たちだった。深緑を基調とした制服。「まさか公安が来るとは……」とシノが呟いた。公安部は国の治安を維持するための組織。つまり、伯爵殺しのこの事件をそれだけ重大と捉えているということだ。犯人は――おそらく、ただでは済まない。
 公安部の兵士たちが広間に入ってくる。その中にひとつ、意外な人物を見つけユーリは唖然とした。もっとも、一番驚いていたのはエドワードとオスカーだろう。二人は揃って声をあげた。
「「殿下!?」」
 公安部とともにやってきたのは海軍総提督であるシャナイア王女だった。その後ろには補佐官のジャスティン卿も控えている。
「殿下、何故こちらへ……?」
 今回の件は市街地で起きた事件。海軍にとって今回の事件は管轄外だ。だが、彼女が来たということは何か理由があるのだろう。
「事情は伺いました。伯爵は海軍の指南役、そしてあなたたちはわたくしの部下です。わたくしとて部外者ではありません。それに……」
 シャナイアはユーリとシノをちらりと窺った。不安でいっぱいのユーリは、シャナイアの目にはどう映ったことであろうか。
「部外者では済みそうにありませんね」
 エドワードたちは事の次第をシャナイアや公安部に話していた。当然ながら、ギルダーのことも話された。エドワードは感情を交えず、ただ淡々と事実を話しただけにすぎなかったが、公安部の人間たちは間違いなくギルダーを疑っているだろう。
「サー・アルタリスが行方不明……ですか」
「逃げたということは何か後ろめたいことがあるから、すなわち犯人である証拠。十中八九、奴が殺したとみて間違いないでしょうな」
 公安部の指揮官の男がそう言ったのを聞いて、ユーリはむっと眉を顰めた。
「逃げたと決めつけんなよ。誰もギルダーがどこに行ったかわからないんだから」
「なんだね、君は」
「それより今はサー・アルタリスを捜すことが先決です。何があったのか、彼を問いただす必要があります。今すぐ捜索隊を結成してください」
「……わかっておりますよ、姫様。今回の事件の捜査権は我々にある。いくら王女殿下とはいえ、我々の仕事に口を出さないでいただきたいものですな」
 指揮官は厭味ったらしく言った。相手は王女だというのに、随分な態度だ。公安部がシャナイアを侮っているのは第三者であるユーリにも簡単に察することができた。
 捜索隊が結成される横で、シャナイアはユーリに向かって言った。
「ディム・アルタリス。あなたに話があります」
「えっ、オレ?」
 未だ慣れないファミリーネームで呼ばれたユーリは一瞬自分のことだと気がつかなかった。そうだ、自分はアルタリスの名を継いだのだったと。
 だが、問題はそこではない。問題はシャナイアがユーリを指名したことだ。
「彼と二人きりで話をさせてください」
「お待ちください。彼は容疑者の息子。とても二人きりなどにはできません」
 当然ながら、シャナイアの補佐官であるジャスティン卿はいい顔をしなかった。ただでさえアルタリスに良い感情を抱いていない彼だ。許すはずがなかった。
 だが、シャナイアは毅然と言い放った。
「何度も言わせないで。わたくしは、二人で話がしたいと申し上げているのです」
 シャナイアの言い方に、ジャスティン卿は言葉を詰まらせていた。まるで駄々っ子のような言い分だ。単純に王女はユーリと話がしたいのだと、ジャスティン卿をはじめとする周りの人間にはそう映ったことだろう。
 ――これだから十五の姫は。
 周りの目が暗にそう語っていた。皆がシャナイアを幼い少女と見ているのだ。
「……かしこまりました。殿下がそこまで仰るのならば」
 ジャスティン卿がユーリをちらりと盗み見る。明らかに好意的ではない眼差しに、ユーリは思わず気後れしそうになった。






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