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 そして二日後。クランベイルへの航海は予定通りに行われた。頭上には青空が広がり、程よい風が帆に吹きつける。至って順調な航海だった。
 クランベイルの街並みが見えてきたところで、見張り台に上っていたクレインがあっと声をあげた。
「小舟がこっちに向かってきているぞ」
「小舟?」
「あれは……どっちだろう」
「どっちって何だよ」
「あの双子だよ。兄貴か弟か遠目じゃわかんねーけど、その片割れが乗ってる」
 双子といえばリーレイア海軍に所属するエドワードとオスカーのカルスト兄弟のことだ。
 舟に乗っていたのは兄のエドワードのほうだった。甲板から垂らした縄梯子を使ってエドワードがアルタリス号へと乗り込んでくる。乗船してきたのはエドワードただ一人だった。
「大佐様が部下も引き連れずに何しに来たんだよ?」
「おまえが改姓手続きをしてほしいと伝書鳩を寄越したからだ。まったく、密入国の手伝いだなんて面倒なものを押しつけて。公の場では出来るようなことではないから、この船上で内密に執り行うこととなった」
「は? 改姓手続き? ひょっとしてユーリの?」
 副船長であるシノが目を丸くする。どうやら他の船員たちには一言も話していなかったらしい。途端に船員たちがざわつき、中にはやんやとはやし立ててくる者まで出る始末だ。『お父さん』コールまであがっていた。
「だからテメェらには言いたくなかったんだ!」
 ギルダーが顔を真っ赤にして怒鳴る。追い払うような仕草もしてみせたが、立ち去ろうとする者はいなかった。いくら怒鳴られようともことの次第を見守るつもりなのだろう。
「私には未だに信じられないのだが……」
 エドワードはユーリに視線を移した。
「まさかこの子がおまえの子だったとは。おまえがカルスト家にやってきたのは十九の頃だったな。その頃には既に子どもがいたというわけか」
「こっちにもいろいろと事情があんだよ」
 ギルダーはかつて自分が奴隷だったことを未だエドワードに話していない。ユーリが自分の意思で作った子ではないなどと、到底話せるわけがなかった。
「まあいい。深くは訊かないさ。改姓手続きだが、王家承認の書状がここにある。あとはこれを渡せば終わりだ」
「あの姫さんは何つってた?」
「そのことなんだがな。殿下はおまえたちが親子であることに気づいておいでだった」
「えっ、シャナが?」
「……おまえ、何で姫さんを愛称で呼んでんだよ」
 ぽかんと驚きを見せるギルダーとエドワードに、ユーリは自分の言ったことが何を意味するのかに気づいた。慌てて頭を振る。
「いや、この前の事件で一緒になった時、名前が呼びにくかったから……!」
「あらユーリん。父親に似ず意外と手が早い。いや、ギルはある意味早熟か……いてっ」
 ギルダーが無言でクレインの頭を叩く。
「それはさておき、だ。何で姫さんが俺たちの関係に気づいてたんだよ」
「そこまでは知らんが、私がおまえたちのことを報告した時、殿下は特に驚きもしなかった。おかげで手続きが早く済んだんだがな」
「で、だ。改姓手続きのためだけに何故おまえがわざわざここまで来たんだ。たかが書状一枚、こんなの下っ端に届けさせれば済む話だろうが」
「昔からおまえは妙に勘が鋭いな。察しのとおり、私でなければならなかったのには理由がある」
 エドワードは書状をユーリへと差し出した。改姓の書状なので、当然これから名乗るべき名前『ユーリ・アルタリス』が記載されているはずだった。だが、書状に記されていた名前は少々違っていた。
「ユーリ・"ディム"・アルタリス……?」
「おい、ディムっていやぁ準騎士の称号じゃねえか!」
「この前のジーク・ライデイン号での働きを評価し、女王陛下はおまえに準騎士の称号を与えるそうだ。本来ならば叙任式は王族が執り行うのだが、先にも述べたとおり公にはできない内容だから私が代理を務めることとなった」
「すごいじゃないか、ユーリ!」
 どれほどすごいことなのかユーリには未だにぴんとこないが、準でも騎士の称号を貰えるのはそうそうないことなのだろう。他の仲間たちにももてはやされ、新しい名前がどこか照れ臭く感じられた。
「準騎士、か」
「どうしたんだい?」
「いや、別に……」
 仲間たちが騒ぐ中、ギルダーは一人考え込むようにしてぼんやりとユーリを眺めていた。
(いくらジーク・ライデイン号でのことを評価されたとはいえ、こんな簡単に騎士の称号が貰えるものなのか?)
『あなたに父親と同じ騎士サーの称号を与えましょう』
 遠い過去、もう八年も前のことだ。かつてアルタリスを再結成し、私掠船を名乗ることが許された時、ギルダーもユーリと同じように騎士サーの称号を女王から与えられた。思えばあの時もすんなりと叙任されたものだ。何か功績があるならまだしも、あの時のギルダーには何もなかった。あったのはアルタリスの子であるという事実だけ。
(アルタリスの名に何か意味があるのか……?)
 ユーリに名を継がせたのは間違いだったのかもしれない。何か裏がありそうな叙任にギルダーは勘ぐらずにはいられなかった。
 叙任式は随分とあっさりしたものだった。エドワードが書状を読み上げユーリに手渡す。それだけだった。
「何かが変わったっつー実感が湧かねーんだけど」
「代理による叙任式だからな。悪いが簡略なもので済まさせてもらう。だがこれで君は正式にアルタリスを名乗れるようになった。さて、叙任式も終わったことだし私は戻るとしよう」
「このまま入港まで乗ってきゃいいだろ」
「海軍兵の私が私掠船から降りてくるわけにはいかないだろ」
「相変わらず堅物だな、おまえは」
「これから定時報告に行くのだろう。ユーリ、今回君はついて来ないほうがいい。準騎士の称号を賜った君を、ジャスティン卿は好ましく思っていないみたいだからな」
「ジャスティン卿?」
「この前海事省に行った時、姫さんの後ろに控えていた男がいるだろ。そいつがジャスティン卿だ。そっちの兄貴よりも堅物な稀有な野郎だよ」
 そう言われてユーリはああと頷いた。以前ユーリにバンダナを外せと言った男だ。どことなく陰気な雰囲気を漂わせていて、ユーリとしては好きになれないタイプだった。
 別れの挨拶を終えるとエドワードは小舟へと戻ろうとした。戻る前に、エドワードはこっそりとユーリに耳打ちした。
「君に頼みがある」
「えっ?」






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