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 体が鉛のように重かった。
 行けども行けども見つかるのは見知った顔の死体ばかり。いつも美味しい料理を作ってくれた料理長、冗談を言ってみんなを笑わせてくれた甲板長、経験豊富で頼りになる操舵手。みんな家族のように接してきた仲だった。
 みんな死なせてしまった。自分がふがいないばかりに。
 一番堪えたのは彼女の死だった。
「セレス……」
 最愛の人。夫として一緒に居られたのは短い時間でしかなかったが、それでも彼女を心から愛していた。危ない目に遭わせたくないからとわざと置いてきたのに、彼女は自ら船へと乗り込んできた。無理やりにでも途中で下船させればよかったのに、彼女がそうまでして会いに来てくれたことに自分は浮かれていたのだろう。その結果がこのザマだ。
 自分は彼女まで死なせてしまったのだ。
 最後まで抗っていたのだろう。永遠の眠りについた彼女の手には剣が握られていた。凛として美しい。彼女らしい死に様だった。
 気がかりなのは、セレスの傍にあの子の姿がなかったことだ。最後に見た時はセレスにぴったりとくっついていたはずなのに、今ではその姿はどこにも見当たらない。遺体すらなかった。
「――――」
 口にした名前は喧騒にむなしく掻き消された。無駄だと言わんばかりに。
 彼女だけでなく、あの子も失ってしまえば僕は――
「シュヴァルツ!」
 呼ばれてシュヴァルツははっと顔を上げた。信頼する副官の姿にシュヴァルツはどこか安心感を覚えた。だがそれは一時のものにすぎない。一度安堵してしまえば、今度はじわじわと不安が心の中に広がっていく。
「あの子が見つからないんだ。どこにもいない」
 心の中に染みわたる不安は徐々に弱音へと姿を変えていく。ぽろりぽろりと口から零れ落ちていく弱音。焦り、不安、苛立ち。それら全てを吐き出しながらシュヴァルツはイヴァンへと縋るように詰った。
「僕のせいだ。僕があんなことをしたばかりに、みんなを死なせてしまった。仲間たちも、妻も。僕の浅はかさが今回の事態を招いてしまったんだ」
「落ち着け、船長」
「僕がみんなを殺したんだ。僕が……」
「シュヴァルツ!」
 イヴァンがシュヴァルツの襟首を掴む。あと一歩進めば確実に手が出ていたことだろう。手が出そうになる自分を必死に抑え、イヴァンは放り出すようにしてシュヴァルツから手を離した。
「おまえがそうやってウジウジしたところで誰も生き返りはしない。それでもそうしたいのならば一生そこで蹲っていろ。俺はごめんだ。付き合いきれん」
「……悪かった。みっともないところを見せて」
 そう、後悔したところで誰も蘇りはしないのだ。船が襲撃され、壊滅まで追い込まれた事実は変わらない。仲間が死んだことも、妻が死んだことも。
「おまえが俺の船長だというのならば、悔いのない選択をしろ」
 だが、まだ希望は残っている。
 あの子の遺体が見つからないという事実。それは同時にあの子が生きている可能性があるということを示していた。
「イヴァン。僕はあの子を探しに行こうと思う。遺体がないということは奴に連れ去られたのだろう。僕に根深い恨みを抱いている奴のことだ。僕の息子だとわかれば放っておくわけがない。奪われてなるものか。あの子も、この船も。奴らに何ひとつ奪われたくないんだ。だから――」
 船長として、最後の命令をイヴァンに下す。酷な命令だ。だがイヴァンは「わかった」とひとつ頷いただけだった。優秀な副官だ。自分にはもったいないと思うぐらいに。
「おまえには最後まで迷惑をかけてしまったな」
「礼は後でゆっくり聞いてやる」
「地獄で、ね」
 こつりと二人は拳を合わせた。別れの合図。決心すれば行動は早かった。
 自分がまだ青二才だったあの頃、想像すらできなかった。海賊の船長として海を股にかけることになると誰が想像したことだろうか。未だバーミア海の外に出たことはないが、その先に世界が広がっていることを知った。リーレイアに居た頃は知り得なかった世界だ。
 あの頃に比べて自分は守るものが多くなってしまった。アルタリスの船、仲間たち、そして妻と子。――もう残されたものはひとつしかない。
 最期ばかりは後悔したくなかった。
(無事でいてくれ――ギルダー!)
 シュヴァルツは強く、強く願った。






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