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※流血及び性表現注意。



 『愛情』なんてお綺麗な言葉とは無縁だった。
 父親はとんでもないロクデナシだった。昼間の太陽が高いうちから酒をかっくらい、気分次第で母親に暴力をふるう。殴って、蹴って、レイプして。思い出す両親の姿といえばこのどれかでしかなかった。
 自分はいわばこの憂さ晴らしの産物でしかなかったのだろう。自分はたまたま生まれてきただけ。だから両親が自分に愛情を注ぐことはなかった。
 家を出て行くことに躊躇いはなかった。家族なんてあってないようなものだったから。
『テメェはおれの息子だ。いつかおれのようになるぞ』
 それが父親の捨て台詞だった。つまらない戯言だ。相手にするのも面倒で無視して出て行った。いや、あの時の自分には言い返すだけの力がなかっただけなのかもしれない。
 だが、遠からず父の言葉は真実だったらしい。
 自分はやはりロクデナシの息子だったというわけだ。家を飛び出した自分に行く宛など当然なく、ふらふらと彷徨う毎日だった。日雇いの仕事で金を稼ぎ、それにすらありつけない日は平気で盗みもした。夢も希望もない、ただ生きていくのに必死だった。苦労して手に入れたなけなしの金は自分の欲求を解消するためにつぎ込んだ。自分が知っているストレスの解消方法といえば酒か女、そのどちらかだ。
 後者はとりわけ酷かった。

 目の前に地面があった。放り出されたのだ。砂を食べてしまったのか、口の中がじゃりじゃりと気持ち悪かった。血の味もする。
 クレインは起き上がると、娼館独特の淫靡な照明をバックに仁王立ちをする二人の姿を見た。一人は屈強な体格の男、この娼館に雇われた警備員だ。この男に猫のように首根っこを掴まれ放り出された。もう一人は歳のいった女だ。昔はこの娼館で多くの男を魅了してきたというだけあって美人だが、怒っているからか、それとも歳をくってしまったからなのか、クレインを睨む顔は鬼の形相でとても美人には思えなかった。
「この悪ガキめ。あんたが来るとうちの店は商売あがったりだ。うちの子たちがね、あんたのことを怖がって相手にしたくないんだとよ」
「えー。俺、ちょー紳士じゃん。ちょーっと乱暴だったかもしれないけどさぁ。でも本人たちも乗り気だったわけだし……」
 言いかけてクレインは口をつぐんだ。女将が今にも打ってきそうだったからだ。
「うちの商品を傷物にされちゃたまらないんだよ。とっとと失せな、このロクデナシ!」
 弁解の余地も与えられず、目の前で扉が乱暴に閉められた。二度と来るなという拒絶の合図。拒まれたり入店拒否をされたりすることは多々あったのでそれ自体は大して気にもならなかったが、捨て台詞のように投げかけられた言葉が意外に効いた。
「ははっ。ロクデナシ……か」
 自分の性癖が酷いと気づいたのはいつ頃だったか。年頃の男なのだから溜まるものは溜まるし、欲求を吐き出すための捌け口も必要となる。体が大人になるにつれて女を求めるようになっていった。だが、ただ女を抱くだけでは体が満足しない。体が求めていたのは血と暴力、乱暴をしないと興奮しないのだ。甘い言葉を吐き、普通に女を抱くなんてことはできなかった。
 父親が残した呪いの言葉通り、自分もまたロクデナシだった。
 自分もまた父と同種の人間だったのだと思うと反吐が出そうになる。だが、落胆はしなかった。落ち込んだところで金が手に入るわけではないし、腹も膨れない。どんなに惨めな生き方をしていたって生きていればそれでいいのだ。うまくいかないからといって、クレインはくよくよするタイプの人間ではなかった。むしろ楽観主義だと言っていいほどだ。
 クレインは口の中に入った砂利と血を吐き出して立ち上がる。そしておもむろに財布を取り出して中身を確認した。娼館で無駄に金を消費してしまった。明日を過ごすための金があるかの確認だ。だが入っていたのは銅貨がたったの五枚。いくら財布を振ったところでそれ以上増えるはずもなかった。
「やっべ。もう金ねーじゃん」
 好き勝手に生きているクレインだが、当然ながら金がないと生きてはいけない。日雇いの仕事で金を貰い、給金だけで暮らしているような日々だった。金がなくなれば適当な仕事を見つけ、その給金を酒と女につぎ込む。そしてすぐに金がなくなる。その繰り返しだった。
「商船の護衛か。楽しそー」
 クレインが最も好んだのは船の護衛などの危険な仕事だった。荷運びなどの仕事は楽な分、給金が低い。危険を伴う仕事は給金が高くなるのが世の常だ。そして何よりもクレイン自身が危険を好んでいた。危機の中に身を浸し、生死をかけた戦いに気分を高揚させる。興奮は何よりもの美酒だった。
 そうしてクレインは数ある仕事の募集の中から商船の護衛を選んだ。高収入と危険を求めて。

 その選択が人生を一転させることになるとは知らずに。






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