[2014年 6月 30日] 初稿
※ユーリが来る少し前の話。 海賊とお酒は切っても切り離せない関係だ。 海賊はラム酒が大好きだというイメージが一般的だが、本当は少し違う。飲料水を保管する術がなかった時代、長い船旅では水はどうしても腐ってしまう。飲料水の代わりに積んだのが長期間保存の効くラム酒だった。船乗りたちはラム酒を飲まざるをえなかったというわけだ。だが「ラム酒を飲んでこそ一人前の船乗り」という風潮があった事実も否定はできない。結果的に海賊すなわち酒飲みだというステレオタイプが出来上がってしまったのだ。 アルタリスもまた典型的な海賊たちだったといえるだろう。彼らは酒を好み、ことあるごとに酒宴を開いていた。宝が手に入った時だとか、新しい仲間が入った時だとか。とにかく騒げれば何でも構わないのだ。飲んで騒いでドンチャン騒ぎをするのが大好きな連中だった。 「かんぱーい!」 この日はハミンの二十歳の誕生日だった。酒やら料理やらを持ちより、アジトでパーティーを開いていた。酒が飲めれば何でもいいのだろう。主役のこともそっちのけで船員たちはひたすら飲んで騒いでいた。 かくいうハミンもお酒を飲むほうなので自分がダシにされているとわかっていても大して気にしていなかった。何よりも二十歳になったことで堂々と酒が飲めるようになったのだ。リーレイアの法律では飲酒は二十歳からと決められている。もっとも、ハミンとしては法律など無視して本当は少し前から飲んでいたのだが、女の子ということもあってか、仲間たちの目の前で飲むとすぐに没収されてしまうのだ。だが、もはや酒を飲んだところでとやかく言われる歳でもない。ここぞとばかりに飲んでいた。 「いやー、お酒が堂々と飲めるっていいね」 「何オヤジ臭いこと言ってんだよ」 クレインがハミンの額を小突く。もう酔っているのか、ハミンの顔は真っ赤だ。しかもラム酒をまるで水であるかのように遠慮なしで飲むものだから、誰かセーブする役が必要だった。 そんな気遣いもお構い無しに、ハミンは広間の中にギルダーの姿を見つけ上機嫌で手を振った。 「あ、せんちょー!」 「飲んで騒ぐのは構わねえがほどほどにしとけよ。潰れても知らねえからな」 「へいきへいき。ゆーしゅーなお医者さんがいるもん。ねぇ、せんちょーも一緒に飲もーよ」 「俺ぁ遠慮しとく。やらなきゃいけねえことが残ってるからな」 誘いを断るとギルダーはそそくさとその場を後にしてしまった。あまりにもよそよそしすぎるギルダーの態度にハミンはぷぅっと頬を膨らませた。 「つまんない」 「ギルにフラれて残念だったなー。ほれ、チーズやるから機嫌なおせよ」 「ちがうよ。何でせんちょーはあたしたちと一緒に飲まないのかなって。いっつもそうじゃん。誰が誘っても断ってばっかりでさ」 「そういやギルが飲んでるとこ見たことねーな」 「何で飲まないのかなー。ひょっとして酒乱とか?」 「あー、ありえそう。ギルってキス魔っぽいし」 「それとも脱いじゃったりしてね」 「そりゃおまえの願望だろ」 二人は顔を見合わせながらげらげらと笑った。 「ねぇ。酔ったせんちょー、見たくない?」 「そりゃあ、面白そうだな」 ハミンの提案にクレインはにやりと笑った。二人はこういうところでは妙に馬が合うのだ。面白そうなことを聞いて黙っていられるわけがなかった。 だが、そんな二人に歯止めをかける役がいた。砲撃手のディックだ。ちょうど二人の真後ろの席で飲んでいたディックは二人の頭をごちんと叩いた。 「おい、おまえら丸聞こえだぞ。俺の目が黒いうちは船長にイタズラなんかさせねぇからな」 「ディックはせんちょーが好きだもんね〜」 「好きなんかじゃない。俺は船長を慕っているんだ」 ディックはぎゅっと拳を握り締めながら力説した。 「いやぁ、おまえガチ過ぎて引くわぁ」 拍手を送るハミンの横でクレインが白々と言った。 ディックはこほんと咳払いをすると改めて二人に向き合った。見た目はいかつい大男だが、性根が細かすぎるほど真面目なディックとしては、年長者としても若者二人の暴走を止めておきたいところなのだろう。ディックは諭すように言った。 「ともかく、何も聞かなかったことにしといてやるから馬鹿なことはやめとけよ」 「そうは言うけどよぉ、ディック君。おまえも本当は酔ったギルが見たいんだろ?」 「なっ、何を馬鹿なことを……!」 「想像してみろよ。ギルのあの容姿だ。酔ったら絶対色っぽくなるぞ〜」 ディックの脳内に酔ったギルダーの姿が思い描かれる。色白の肌は桃色に色づくことだろう。色気の増した目で見つめられたら……。ディックの喉が無意識にごくりと鳴った。 「はい決まり。ディックもあたしたちの仲間入りね」 「いや待て。俺はやるなんて一言も……」 「酔ったせんちょー見たくないの?」 「見てみたい、けど……」 「んじゃあ黙って見とけばいいんじゃねーの」 渋るディックを無理やり引き入れ、こうしてギルダーを酔わせる作戦が立てられた。 作戦の決行は次の宴会だ。今回は掠奪に成功したことを祝う宴会だった。これがチャンスだと言わんばかりにハミンたちは作戦を実行した。 作戦は至って単純なものだった。ハミンがギルダーに酒を渡す。ただそれだけだ。他の手もいろいろと考えてみたが、これが一番スマートで効果がありそうだったのだ。 「渡してきたよ」 クレインとディックのもとに戻ってきたハミンは二人に向かってブイサインを作ってみせた。 「何て言って渡したんだ?」 「ライムジュース渡しただけだよ。ジュースにお酒を混ぜてるんだけどね」 「おまえ、イタズラに関してはほんっと天才だよな」 「いやー、誉めたって何も出ないよぉ」 「誰も誉めてねぇから」 三人は席について遠目でギルダーの様子を伺っていた。他の仲間に声をかけたり、かけられたり。忙しいからか、あまり杯が進んでいないように見える。 「……これ、酔うまでにかなり時間がかかるんじゃね?」 「かもね」 「随分と雑な作戦だな」 「いいよ、その時はハミンちゃんの色仕掛けでせんちょーを酔わせてくるから」 「おまえのほうが酔ってるじゃねーか!」 真っ赤な顔をしたハミンをクレインが叱咤したその時だった。 ガタン! 椅子が派手に転ける音に辺りがしんと静まり返った。 「え?」 クレインたちがぎょっと目を剥く。椅子を倒したのはギルダーだった。それどころか自分まで一緒にひっくり返っているではないか。ギルダーは立ち上がろうとしていたがどうにも足元が覚束ない。立とうとはするが上手くいかずに何度も転んでいた。 「え……ひょっとしてせんちょー、酔ってる?」 「そんなバカな。一杯どころか半分も飲めてねぇぞ」 だがその動きは酔っぱらいそのものだ。考えられる答えはただひとつだった。 「まさかギルの奴……下戸?」 クレインは思わずぷっと吹き出した。何故頑なに酒を断っていたのかと思えばまさかそんな理由だったとは。無様に這いつくばっているギルダーの姿にクレインは笑い声をあげようとした。 だがギルダーの顔を見て、笑うどころか肝が冷えそうになった。 ギルダーが今にも死にそうな顔をしていたからだ。その顔は酔って赤らんでいるどころか、病人のように青ざめていた。 「おい、ギル。大丈夫か、立てるか?」 クレインが手を差し出すもののギルダーは手を取ろうともしない。喋ることもできないほど気分が悪いのか、必死に口元を押さえている。いくらなんでも弱っている人間を笑い飛ばすことなんてできなかった。クレインたちの頬に冷や汗が伝う。 「これ……ヤバくね?」 もちろんギルダーの体調のこともあるが、もっともマズイのはこの状況のことだ。こんな状態のギルダーを|彼《、》に見られでもしたら―― 「いったい何の騒ぎ?」 心臓が止まりそうだと思ったのはいつぶりだろうか。その声にクレインは心臓が飛び出しそうなほど驚いた。体中からぶわりと汗が吹き出る。 シノだ。騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。 シノの行動は実に素早いものだった。酔って前後不覚になっているギルダーを見て状況を把握したのか、シノは周りに集まった仲間たちを見渡しながら言った。 「誰? ギルダーにお酒飲ませたの」 氷点下まで冷え切った声。目が笑っていない。 三人は心の中でヒィッと悲鳴をあげた。 「ギルダーはアルコールを一滴も受けつけない体質なんだよ! それを遊びで飲ませるなんて!」 犯人がクレインたちであることはすぐにバレてしまった。シノに呼び出しをくらった三人は床に正座させられガミガミと説教を受けていた。当のギルダーはというとベッドの上ですっかりダウンしていた。 「ごめんなさい。まさかせんちょーがお酒に弱いだなんて知らなくて」 「まぁ酒が飲めないことを周りに言ってなかったこいつも悪いとは思うけどね。こうなった以上しばらくは回復しないだろうね」 「そんなに酷いのか?」 「言っただろ、アルコールを一滴も受けつけない体質なんだって。ギルダーはアルコールを分解する機能が他の人に比べてかなり低いんだよ。ちょっと口をつけただけで顔が真っ赤になるし、お酒を使った料理なんてほとんど食べられない。どんだけ飲んだかは知らないけど、この状態だと……」 その時、ベッドで伸びていたギルダーがむくりと起き上がった。「大丈夫?」とシノが声をかける。顔は真っ赤だし、目が据わっているし、到底大丈夫そうには見えなかった。 おまけに、 「シノ…あちぃ……」 「へ!?」 突然ギルダーがシャツのボタンを外し始めたものだから、四人はぎょっと目を見開いた。 「いや待て待て、はやまるな!」 シノが慌てて止める。シノが止めたのには理由があった。 ギルダーは決して人前で肌を晒そうとはしない。それは奴隷時代の傷痕がまだ残っているからだ。アルタリスのメンバーでギルダーが奴隷だったことを知っているのはシノだけだった。ギルダーが自分の過去を誰かに知られるのを極端に嫌っていることもシノは知っていた。今はアルコールで意識が朦朧としているから躊躇なく脱ごうとしたのだろうが、仲間に傷痕を見られたと知れば間違いなく後悔する。本人に自覚がない以上、シノが止めるしかなかった。 「落ち着け、ところ構わず脱ごうとするなよ」 「だって、あついんだもん」 「もんって何だよ、子どもか。二十七のおっさんが言ってもちっとも可愛かないよ」 事情を知らない三人は二人のやり取りを呆然と眺めることしかできなかった。 「せんちょー、脱ぎ魔のほうだったんだ」 「てか言動が完全に酔っぱらいじゃねーか」 「船長! 脱ぐなら俺が手伝います! ……ぐぼっ!?」 シノの拳がディックの腹にめり込んだ。ディックの巨体が後ろに倒れる。シノはふんと鼻を鳴らし、ぱんぱんと手を払った。 「自殺志願者は直接言ってくれないかな」 「さすがシノ先生。綺麗な正拳突きだったね」 「だからおまえ、マジ過ぎてきもいって」 「きもちわる……」 「そんな、船長まで!」 「ちが、はきそっ…うぇ……ッ」 「ギルダー!?」 ギルダーは脇にあった桶をひっ掴むとその中に向かってげーげーと吐いた。背中が微かに震えている。 シノはギルダーの背を撫でながら三人に向かって言った。 「悪いけど、しばらく出て行ってくれないかな」 部屋から出たものの、三人はそこから一歩も動く気にはなれなかった。ギルダーの姿がどうしても頭から離れないのだ。酔わせたいとは思ったが、苦しめたいとは思っていない。苦しそうに吐いていたギルダーの姿に罪悪感が募らずにはいられなかった。 「せんちょー、まさかあそこまで酷かっただなんて。どうしてあたしたちに言ってくれなかったんだろう」 「俺、ギルの気持ちがわかるかも」 クレインがぽつりと呟いた。 「親父のところにいた頃、酒が飲めないと海賊として半人前だって言われてた。酒が飲めねぇ奴はどうしても馬鹿にされるんだよ。それが体質だろうとなかろうがな」 「まぁ、確かに船乗りたちの間でもそういう風潮があったな」 軍船で働いていた経験のあるディックが同意する。 「海賊は舐められたらおしまいだ。ギルって見た目からして海賊らしくねーじゃん。酒が飲めないとバレたら馬鹿にされるかもしれない。だから嘘ついて、虚勢張って。そうでもしなきゃやっていけなかったんだろうな」 「でも」 ハミンが寂しそうに言った。 「せめてあたしたちには言ってほしかったな。仲間なんだから」 「頭いてぇ……」 翌朝、目を覚ましたギルダーは激しい頭痛にベッドの上で頭を抱え込んでいた。完全に二日酔いだ。たった少量しか飲んでいないはずなのに、あまりの弱さに辟易するほどだ。 だが、更に頭を抱えたくなることが。 「「すいませんでした!」」 クレイン、ハミン、ディックの三人が部屋に入ってくるなり土下座をし始めたのだ。もちろん、昨晩自分たちがしでかしたことを申し訳なく思ってのことだろう。 だが、ギルダーはきょとんと首を傾げるばかりだった。 「何でテメェらが謝るんだ?」 「え。せんちょー、昨晩のこと覚えてないの?」 「いや、覚えてる。だから何でテメェらが謝ってんのかって訊いてんだよ。俺がやらかしたことだってのに」 「へ……?」 やらかした? 一体どういうことだろうか。 シノはある可能性に気づいてはっと息を飲んだ。 「まさかギルダー、酒だってわかってて飲んだのかい?」 「ああ」 「えっ。だってだって、あたしジュースだって言って渡したのに」 「酒なんて飲み慣れてねえから味でわかるっつの」 「どうしてまた?」 「酒が飲めねえ体質だってのは重々承知してんだけどな。その……羨ましかったんだ。たった一杯の酒で楽しそうに騒げるテメェらが」 あの時、一口舐めただけで酒が含まれていることはわかった。だけど「一緒に飲もう」と誘ってくれたあの言葉が、楽しそうに騒ぐあの姿が、思い描くと中身を捨てる気にはなれなかった。この一杯を飲み干した時、自分は彼らと一緒になれるだろうか? 「たった一度でいいから、テメェらと一緒に飲んで、馬鹿みてえに騒いでみたかったんだ」 「ギルダー……」 「ま、たった一杯の酒でこのザマなんだけどな」 「せんちょー……ああもう、大好きっ!」 ハミンががばりとギルダーに飛び付く。が、ギルダーも避けるのが早かった。ハミンはギルダーに抱きつくこともできず、ベッドの上をごろりと転がった。 「どうして避けるのよー!?」 「うるせぇ! テメェは俺を殺す気か!?」 (酒よりも女性のほうが怖いのか) ギルダーが女性恐怖症であることも知っているシノは思わず心の中で苦笑した。 「お酒が飲めなくったってせんちょーはあたしたちのせんちょーなんだから、遠慮なく入ってきたらいいのよ」 「そうっすよ、船長。今度一緒に馬鹿騒ぎしましょう!」 「酒なんか飲めなくったって誰もおまえを拒んだりなんかしないって」 「テメェら……」 「そうだ。今度アルコール度数のひっくいお酒を作ってみるから、できたら一緒に飲も。ね?」 「飲んで吐いてしてたら強くなるって親父も言ってたしな」 「そうだな。慣れる特訓をしてみるのも悪くはない。今度俺に付き合ってくれるか?」 「もちろん!」 次の酒宴はいつにしようかなどと話している三人を傍らに、シノはギルダーにこっそりと耳打ちした。 「おまえのそれは慣れでどうにかなる問題じゃないと思うけど、それでも飲むのかい?」 医者であるシノがそう診断したのだから恐らく自分が酒の楽しみを知ることは一生ないのだろう。だけど悪い気はしなかった。ギルダーは唇に楽しそうな笑みを浮かべていた。 「吐くだけで野郎どもと騒げるなら安いもんだ」 【蛇足→】
[2014年 6月 30日] 初稿