[2014年 4月 15日] 初稿
海賊というのは基本的に男社会だ。 船上での過酷な生活、力のいる仕事。どうしても男手が求められるうえ、女には向かない環境下だ。船に乗る女が少なくなるのも必然的だった。また、女は堕落の原因になるからと女の乗船を認めない海賊団も多かった。 アルタリスは女性の参入を認めているが、進んで海賊になろうとする女性が少ないため、結果的に女性のメンバーが少なかった。 アルタリスにいる女性はたったの四人。 一人目はカティア。先日アルタリスに入ったばかりの少女だ。非戦闘員であり、主にユーリについて食事の支度を手伝っていた。 二人目はハミン。彼女は整備士としての役職を与えられているうえ、時には船にも乗る。女性にしては活発的で、男連中に混じっても遜色はなかった。 三人目はサシャ。平均年齢が二十代後半のアルタリスの中でも彼女は珍しく高齢だ。島での船員たちの世話を仕事とし、船に乗ることはほとんどなかった。 そして四人目。ローラという名の女性がいるのだが―― クレインとともに魚釣りに出かけていたユーリは川で洗濯しているローラの姿を見つけ声をかけた。 「ローラさん、こんにちは」 「あら、ユーリくん。こんにちは」 ローラはユーリたちの姿を見るなり優しげな笑みを浮かべた。 ローラは淑やかな美女だった。海賊たちの中に身を置きながらも上品で、どこかの令嬢を思わせるような振る舞いをする。されど女性として魅力的な体つきをしていた。ちなみにクレインの好みにぴったりらしい。 だが、彼女は既に人妻であった。彼女がアルタリスに入ったのは夫がいるからである。 そして、その旦那というのが砲術長のディックであった。 いかつい顔の大男と奥ゆかしい美女。妙な組み合わせだが、存外うまくやっているらしい。二人が喧嘩している姿をユーリは見たことがなかった。 しかし。 「うちの旦那は浮気ばかりで、ほとほと困っていますの」 「えっ! 浮気!?」 世間話の合間にローラがふともらした言葉に、ユーリは驚かずにはいられなかった。浮気とは穏やかではない。だが、ディックは誠実な男だ。とてもではないが浮気をしているとは思えなかった。 「一体誰に……」 「ギルダー様ですわ。あの目を見ていればわかります」 「えっ。でもギルダーは男だけど」 「愛があるならば性別なんて関係ありませんわ」 「奥さん、深すぎて怖いから。ユーリんが引いてるって」 クレインは苦笑いを浮かべていたが、ユーリはとてもではないが笑うことができなかった。ジョークにしても怖すぎる。ユーリの表情がすっかり固まっているものだから、クレインが助け舟を出した。 「ディックは面食いで有名なんだよ。特に美人が好きでさ。ほら、ギルって無駄に顔がいいから」 「あ、ああ。そーいう意味か……」 ようやく意味を理解できたユーリは密かに安堵のため息をもらした。 ディックが美人好きであることはユーリも知っていた。美人には頭が上がらないらしい。ローラと上手くいっているものそれがあるからなのだろう。 確かにギルダーは男にしては端正な顔立ちをしている。男前というよりは中性的な美形だ。美人好きなディックがギルダーを好むのも無理はない。 「あの人はいつもギルダー様ばかり目で追って。アルタリスに入ったのだってギルダー様がいたからに違いありませんわ」 「それは……十分にありえそうだな」 「クレイン!」 思わず肯定してしまったクレインをユーリがたしなめる。 「ディックがギルダーばかり見ているったって、本当に好きなのはローラさんだけだよ。ディックはいっつもローラさんのことばかり話すもん」 「ありがとう、ユーリくん」 ローラはにこりと笑った。その笑顔は本当に綺麗だと思う。 たとえ、何か含みがあったとしても。 「でも、あの人がわたくしよりもギルダー様ばかりを見ているのが癪なの」 ユーリはぶるりと体を震わせた。 去っていくローラを眺めながら、ユーリはぽつりと呟いた。 「女の人って怖い」 「あの奥さんは特別だろ。ひょっとしたらカティーも将来ああなるかもしれないけどな」 「大丈夫かなディック。離婚なんてことにならなきゃいいんだけど」 「さぁな。でもあの奥さん、意外と行動力あるからなぁ」 だが、クレインとて予想だにしなかったことだろう。 誰が想像できたことだろうか。 まさかローラが大胆な行動に出るとは。 目を覚ましたギルダーはひとまず昨晩のことを思い出すことにした。 昨晩は普通に自室で寝たはずだ。何か問題があったとか、変な行動を起こしたとか、そんなことはなかったはず。 少なくとも、自分で自分を縛るだなんて妙な性癖は持ち合わせていない。 目を覚ますと、何故だか椅子に縛りつけられていた。 おかしな状況に、ギルダーはひとまず縄が外れないかと試してみたが、縄は少しも緩みはしなかった。しっかりと縛られているということは他人に縛られた証拠だ。 「お目覚めですか」 問いかける声に、ギルダーは相手が誰なのかすぐにわかった。 何せ、現在のアルタリスに女性は四人しかいないのだから。 「おまえの仕業か、ローラ」 「ご無礼をお許しください、ギルダー様。ですが、どうしてもあなた様に私の悩みを聞いてほしくて」 「一体どうした?」 一刻も早く縄を解いてほしいところだが、ローラがあまりにも神妙な顔をしているものだから、ギルダーは自分の状況をひとまず置いて彼女の話を聞くことにした。 「何でも聞く。話してみろ」 船に乗らないとはいえローラも立派なアルタリスの一員だ。悩みがあると聞いて黙ってはいられない。ギルダーは真摯に耳を傾けた。 「うちの旦那のことなのですが」 「ディックがどうした?」 「あまりにも浮気癖が酷くて」 「は? 浮気? あのディックがか?」 ローラの発言にギルダーはきょとんと目を丸くしていた。ディックがローラを溺愛していることはギルダーも承知済みだった。アルタリス内でおこっていることは何らかの形で船長であるギルダーに届く。もしもディックが浮気をしているという噂が船員たちの間で流れていたのならばギルダーの耳に届かないわけがない。 だが、女の勘は鋭いという。 「妻であるおまえがそういうのならば確かなのだろう。妻がありながら何とふてぇ奴だ。俺からも一言言っといてやる」 だが、ギルダーははたと気がついた。 だったら何故自分はこうやって縛られている? 悩みを聞くだけならば面と向かって話をすればいいだけのことではないか。わざわざ縛る必要などどこにもなかった。 「ギルダー様のお気持ちはありがたく思います。でも、あの人には言ったところで無駄でしょうから」 ローラはずいとギルダーに顔を寄せた。 「ならばわたくしもギルダー様と浮気をしようかと思いまして」 「……は?」 「わたくしがギルダー様と浮気をすれば、旦那の浮気癖も少しは治るかと思いまして」 「いやいや、何でそうなるんだよ!」 まさかディックの浮気の原因が自分だとはこれっぽっちも思っていないのだろう。ギルダーは訳がわからないと言わんばかりに叫んだ。 突然、部屋の扉がバンと勢いよく開く。 「ローラ! この手紙は何だ!?」 割り込んできたのは話題の中心人物、ディックだった。ディックの手には握りつぶされた手紙があった。手紙にはローラが浮気をしに行く旨が書かれていたらしい。真相を確かめ止めようとしたのだろう。 だが、椅子に縛られているギルダーの姿を見つけディックは完全に面食らってしまった。 「せ、船長!? おまえ、一体なにを……!?」 「わたくし、これからギルダー様と浮気します」 「へ?」 「あなたが他の人にばかり目を向けるから悪いのです。ですからわたくしもこうやって浮気をしようと」 ローラが誰のことを指しているのかわかったディックはばつが悪そうな顔をしていた。だが、自分のことだと微塵も気づいていない張本人は巻き込まれたと言わんばかりに喚き散らす。 「テメェの嫁さんだろ! なんとかしやがれ!」 ギルダーと浮気すると言うローラ。片やギルダーは縛られていて動けない。 つまり、ローラがギルダーを好き勝手にするというわけだ。 これから起こることを想像して、ディックはごくりと生唾を飲み込んだ。 「俺としては、その……もっと絡んでくれたほうがありがたいっす!!」 「このド変態野郎!!」 ギルダーに怒鳴られるよりも、ローラに愛想を尽かされるよりも、美人二人の姿を眺めているほうがディックにとってずっとご褒美だった。 正座までして完全にデバガメモードに入ったディックをよそに、ローラはギルダーにしなだれかかった。 「ギルダー様。主人のことは道端の石とでも思ってください。年増の女はお嫌でしょうけど、こう見えても殿方を満足させる自身はありますの」 ローラのほっそりした指がギルダーの頬を撫でた。美女に撫でられるなんて男にとっては嬉しいことこの上ない。だがギルダーはしどろもどろと答えるばかりだった。 「いや、あんたは十分魅力的だが、俺は、その……っ!」 「遠慮なさらないで。わたくしは気にしていませんから。むしろギルダー様とご一緒できるなんて光栄ですわ」 「あんた、楽しんでるだろ!?」 ローラは宝石のように艶やかな美しさがある。一方ギルダーは彫刻のように洗練された美しさだ。綺麗なものを愛でるのが好きなディックにとって二人が並ぶだけでも夢のような光景だった。鼻息荒く二人の様子を見守るディック。 と、その時。部屋の扉が勢いよく開いた。 「いつまで寝てんだよ、この寝坊助低血圧! 飯が冷めんだろ!」 怒鳴り込んできたのはユーリだった。いつまで経ってもギルダーが起きてこないと思い腹を立てたのだろう。普段通りの喧嘩腰の勇ましい態度で乗り込んでくる。 だが、部屋の中でこんなことが繰り広げられているなどと誰が考えたことだろうか。目の前に広がる光景にユーリは完全に凍りついてしまった。 ギルダーにのしかかるローラ。拘束されひんむかれるギルダー。脇で見学するディック。 純粋なユーリが受け入れるにはあまりにも難しすぎた。 「……ごめん。オレ、邪魔したよな」 結局ユーリが出した結論は『見なかったことにしよう』だった。 部屋を出て行くユーリに向かってギルダーは悲痛な叫び声をあげた。 「頼む、ユーリ! 後生だから戻ってきてくれっ!!」 しばらくして。 ゆっくりと開いた扉の隙間からユーリがおそるおそる中の様子を窺う。一人では戻りにくかったのか、戻ってきたユーリはクレインを伴っていた。 「何してんだよ?」 「二人が絡むところを見学して……じゃなかった」 「浮気してますの」 「浮気? 旦那の目の前で?」 「わたくしがギルダー様と浮気すれば主人の浮気心も少しは抑制されるかと思いまして」 「どんなプレイだよ。てかそれ、逆効果じゃね?」 「変態ですんません! もっとなじってください、船長!!」 「一体何言ったんだよ、ギル……あれ、ギル?」 一向にギルダーの反応がないものだからクレインが声をかける。ギルダーの顔を覗き込んだユーリが「うわっ!」と驚きの声をあげた。 ギルダーの顔が真っ青なのだ。大量に冷や汗をかいている。 「あんた、顔真っ青だけど大丈夫か?」 見るからに大丈夫とは思えないのだがユーリはとりあえず尋ねてみた。ユーリを見上げるギルダーの目は涙ぐんでいた。果たして目の前にいるのがユーリだと認識できているのかも怪しいところだ。ギルダーは首をぷるぷると小刻みに横に振った。 「だいじょうぶ、今回は落ちてねぇ…おちて……」 がくり。 「あ、落ちた」 ふっとギルダーの意識が飛ぶ。さすがのこれには周りの外野も血相を変えた。 「せ、船長!?」 「なぁ、ギルってひょっとして……」 ギルダーの異変。有り得ないほどの取り乱しよう。 思い当たる節はひとつしかなかった。 「うん、ギルダーは女性恐怖症だよ」 呼ばれて来たシノが説明する。ベッドの上で意識と平静を取り戻したギルダーはばつが悪そうな顔をしていた。 「それも極端なやつだ。普通に会話する分には何ら問題ないんだけどね。触ったり触られたりするのが駄目らしい。触られたら取り乱して気絶するレベル」 「どうりで、カティアやハミンを避けていたんだね」 「仕方ねえだろ。触れたらこうなるのはわかってるんだから」 以前カティアが少し触れただけでギルダーは異様な驚きようをしていた。飛びついてくるハミンを毎度かわすのも女性恐怖症が原因だったのだ。 「ごめんなさい、ギルダー様。まさかそんな事情があっただなんて」 「いや、奥さんはいい。それよりもテメェだディック!」 ギルダーはディックに向かって怒鳴った。 「テメェはもっと嫁さんを大事にしやがれ。こんなにテメェのことを想ってくれる嫁さんなんざそうそういねえぞ。どこの女の尻を追ってるかは知らんが、追うのは嫁さんだけにしろ」 (いやいや、あんただよ!) ユーリ、シノ、クレインの三人が心の中で突っ込んだが、口には出さずにおいた。 「ローラ、すまなかった!」 ディックは頭を床にこすりつける勢いでローラに向かって土下座した。 「俺が他の人間に目を向けることをおまえがそれほどにまで気にしていただなんて。俺のせいでおまえに嫌な思いをさせてしまった。すまん!」 「では他の人を追うのはやめてくださいますか?」 「うっ、それは確約できないが……」 「ディック」 ユーリがディックの脇を小突く。ディックは少し困ったような、照れたような表情を見せていたが、ついには意を決したようだ。 「俺は確かに美人が好きだ。だけど、おまえ意外の誰かを愛することなんてできないんだ!」 ディックはローラを強く抱きしめ唇を重ねた。クレインが「おお」と歓声をあげる。いくら夫婦とはいえ目の前で戯れられては目のやりようがない。ユーリは思わず頬を赤らめた。 「いちゃつくのは外でやってくんねえか。こっちとしては鬱陶しいんだが」 結局一番に本音を吐いたのはギルダーだった。 仲直りした夫婦が部屋から出ていき、用事が済んだシノとクレインも部屋を後にした。続いて出ていこうとしたユーリだが、ギルダーに引き留められた。 「どうしたの?」 「いや、その……ちょっと昔話に付き合ってくんねえか?」 「?」 ユーリを引き留めたギルダーはなんとも言えない複雑な表情をしていた。強張ったような、困ったような。いつもなら文句のひとつでも言ってやるところだが、その表情を見てしまうとどうにも断りづらく、ユーリはおとなしく話を聞くことにした。 ギルダーは深く呼吸を整えると、ゆっくりと話し始めた。 「……昔、女を無理やり犯したことがある」 「えっ……?」 「強制されてのことだった。だが、俺が彼女を強姦したのは事実だ。女が駄目なのはそのせいなんだ。女に触れるとその時のことが鮮明に思い浮かんじまって……どうにも駄目なんだ」 ギルダーの告白にユーリは目をぱちくりと瞬かせた。ギルダーの話が衝撃的だったからではない。ギルダーが弱音を吐く姿を初めて見たからだ。現にギルダーはユーリの目の前だというにも関わらず背を丸め、手で顔を覆っていた。今までユーリが見てきたギルダーはいつも自信たっぷりな姿だった。海賊の船長として仲間を率いる姿。 今ユーリの目の前にいるのは海賊船長ではなく、ひとりの男だった。 「あんたって、意外に弱いところがあるよな」 「それは……否定できねえ」 「いや、何も貶しているわけじゃないんだ。そういう人間らしいところがあるんだなって。オレ、ギルダーのことを横暴で血も涙もない人間だと思ってた」 「それ、本人の前で言うことか?」 ギルダーは苦笑いを浮かべていた。ユーリの言葉に怒鳴り返さないのは言われたとおりだと自覚しているからなのだろう。 「人間臭くって、オレは好きだよ」 どんなに強くて自信満々な人間よりも、悩みを抱え弱さを自覚できる人間のほうがずっと好きだった。
[2014年 4月 15日] 初稿