「朝は船員たちの食事の支度だ。それが終わったら皿洗い、食堂の掃除をしろ」

 あのクソチビ野郎! と、ユーリは心の中で盛大に悪態をついた。
 海賊に攫われてから三日が経った頃だ。
 ユーリが連れてこられたのは地図のどこに載っているのかわからないような小島だった。海賊たちは自分が逃げられないとでも思っているのだろうか。部屋に監禁されるようなことはなかった。だが、代わりに働くことを強要された。
 海賊たちの頭領であるギルダーはさも当然と言わんばかりにユーリに仕事を押しつけた。横暴とも呼べる態度。上から目線。身長はさほど変わらないというのに。
 (あー! 思い出しただけでも腹立つ!)
 あんな奴の言いなりになってたまるか。
 絶対にこんなところから抜け出してやる。
 攫われてから三日目にして、ユーリは脱出することを決意した。



 抜け出すためにはまず船が必要だ。船といえば入り江に留めてあるスループ船が思い浮かんだが、あれを盗んだところで一人で海に出ることはできないだろう。船を出すには錨を上げ、帆を張り、舵を取るだけの人員が必要だ。たった一人で、ましてや子どものユーリが全てをこなせるわけがなかった。
 そうなれば必要となるのは小舟だ。一人でも漕げるような小舟。小舟となれば自分の手で作り上げなければならなかった。
 幸いにも、この島には木々がたくさん生えている。材料には困らないだろう。だが、ユーリは今までに小舟なんて作ったことがなかった。それも当然だ。バーミア海域に勢力を伸ばすボーダマン商会頭取の息子であるユーリはいわばお坊ちゃん。しかも相当な箱入りだ。小舟なんか作ったことはないし、作っているところも見たことがない。どうやって作ればいいのか、見当もつかなかった。
 どうしようかと森の中をうろうろと歩いていたユーリは、ふとギコギコと妙な音が聞こえてくることに気がついた。木を切る音だ。
 音が聞こえたほうへと向かってみると、そこには手斧を持って木と格闘している若い男がいた。明るい茶髪の、まだ二十代前半といったところか。男はユーリに気がつくと、作業の手を止めた。
「あれ? 君、確か船長が連れてきた子っすよね? えっと、名前は……」
「ユーリだよ」
「あー、そうだそうだ! ユーリ、ユーリね!」
 男はにかっと笑った。日に焼けた肌に笑顔が映える。人懐っこそうな顔だ。
「俺はガイル。ここで船大工をやってるっす」
「船大工?」
「そうそう。ユーリも乗っただろ、あの船。あの船影美しきアルタリス号は俺のじっちゃん自慢の作品なんすよ!」
 この船大工は相当な船好きらしい。ガイルは鼻息荒く自慢げに語ったが、ユーリは大して関心を持てなかった。海商の息子なので船を見るのは好きだが、アルタリス号は自分を攫ってきた船だ。あれを綺麗だとかカッコいいだとか思えなかった。
 だが、船大工と出会えたことは幸いだと思った。上手くいけば船を作るための手がかりが得られるかもしれない。ユーリは怪しまれないよう、さも興味を持ったようにガイルにあれこれと質問することにした。
「何やってたの?」
「これ? これはな、修理用の木材を作ってるんだ。こうやって手斧で表面を滑らかにすることで形の整った木材が出来上がるんすよ」
「これを組み合わせて船ができるの?」
「そうっす。大きな大きな竜骨にいくつもの板を組み合わせることで船はできてるっす。ちょっとでも手を抜いたら穴が開いて大参事になりかねないっすからね。木材を作る段階でこうやって丁寧に丁寧に作りあげるんだ。で、時間をかけて丁寧に作り上げることであの大きな巨体を海に浮かべることができるんっすよ。船は船大工の努力の結晶っす!」
「あ、うん」
 よっぽど船が好きなのか、ガイルは造船のことをべらべらと喋り始めた。このまま放っておけば長くなりそうだ。ユーリは早めに話を切り上げることにした。
「な、なぁ。それじゃあ小舟も作り方おんなじ?」
「うん、小舟? そうっすねぇ、まあ基本はあんまり変わんないっすね」
「それじゃあ小舟を作るだけでも結構時間がかかるんだな」
「ああでも、もっと簡単に作る方法もあるっすよ。小さなものでいいなら、丸太をくり抜くほうが早いっす。こんなふうに」
 ガイルは地面に図を描いて丁寧に説明してみせた。
「ちょっと安定性には欠けるけど、板を組み合わせて作るよりかはずっと早くできるっす」
「へぇ」
 ユーリはガイルの話を頭にしっかりと叩き込んだ。途中で質問を挟み、疑問が残らないようにした。これも全てこの島から脱出するためだ。
 ガイルから舟の作り方を教わったユーリは、それから毎晩、全員が寝静まった頃を見計らって、船小屋から大工道具をこっそりと借りてきては丸木舟の製作を密かに進めていた。昼間は海賊たちの目につかない場所に隠しておき、夜の間に舟作りを進める。おかげで寝不足にもなった。目の下の隈を船医のシノに指摘された時は内心どきりともしたが、それでもユーリは隠れて舟作りを続けた。
 島から脱出し、故郷に帰りたい。
 その一心だけで舟の製作に挑んだ。



 舟が出来上がったのは制作開始から三日が経った頃だった。
「これでよし、っと!」
 天気は良好。絶好な船出日和だ。人目を忍んでアジトから抜け出したユーリは、いよいよ計画に移ろうと、隠していた舟を浜まで引っ張りだした。お世辞にも良い出来とは言えない、不恰好な舟だ。それでもこの島から脱出できれば問題ない。
 食料と水も積んだ。数日はもつだろう。脱出する準備は万端だ。
 ようやくここから脱出できるのだ。そう思うと気分が高揚した。
 ひとまずこの島を抜け出し、どこか人のいる島まで行こう。ユーリは舟を海に浮かべて乗り込んだ。
 だが。
「待ちやがれ!」
 突如聞こえてきた声にユーリはびくりと肩を震わせた。
 ギルダーだ。ギルダーが逃げようとしている自分を見つけてやってきたのだ。
(まずい! 逃げなきゃ!)
 ギルダーの姿を確認したユーリは急いで櫂を漕いだ。幸いなことにギルダーとの距離はまだ遠い。今のうちに沖まで出てしまえば追いつけなくなるはずだ。逃げるためにユーリは必死に櫂を漕いだ。だが、生まれて初めて漕ぐ舟に上手く操縦ができない。それでも今は逃げることで頭がいっぱいだった。早く進め、進めと。ただ必死に櫂を漕ぐ。
 そうこうしている間にギルダーが浜辺まで駆けつけてきた。水の中では当然動きが遅くなる。これだけ距離が空いていれば追いつけないだろうとユーリは踏んでいた。
 だが、ユーリの予想はあっさりと裏切られることとなる。
 ギルダーは上着を脱ぎ捨て、助走をつけると一気に跳躍したのだ。ユーリの舟目がけて、大きく跳んだ。
「嘘だろっ!?」
 浜から七ヤードは優に離れていたはずだ。なのにギルダーはその距離をものともせず、軽々と海を飛び越えたのだ。
 ダンッとギルダーが舟の上に着地する。舟が大きく揺れた。
「あっ……」
 ユーリはとっさに逃げようとした。だがここは小さな舟の上。逃げ場などどこにもない。
 それでもユーリは僅かながらに逃げようとしたが、ギルダーに襟首を掴まれ海へと放り込まれた。舟の下は海底に足がつかないほど深い場所だった。口から、鼻から海水が入り込んでくる。必死にもがくが一向に海面から顔を出すことができなかった。
 ――殺される!
 ユーリはぎゅっと目を瞑った。
 海面から引き揚げられ、咳き込むユーリの目に飛びこんできたのは鬼のような形相をしたギルダーだった。
「馬鹿野郎! 死にてえのか!」
 ギルダーはユーリを引っ張って浜辺まで泳ぎ切ると、砂浜にユーリを放り投げた。
 そして一点を指差す。
「見ろ!」
 ギルダーの指差した先にはさっきまでユーリが乗っていた小舟があった。操舵者がいなくなったことで海の上をふらふらと一人で彷徨っている。操舵者がいないにも関わらず、舟はまるで誰かに操られているかのように、舟は島の岸壁に向かっていた。向かっているのではない、引き寄せられているのだ。
 ガン!
 ユーリが見ている目の前で舟は勢いよく岸壁に叩きつけられ、そのまま波に押され沈んでしまった。ユーリははっと息を飲んだ。
「この辺りは潮の流れが速い。あんな小舟で海へ漕ぎ出したら岸壁に叩きつけられるのがオチだ。テメェのしようとしたことが自殺行為だとわかってんのか!?」
 岸壁に叩きつけられ沈んだ小舟を見て、ユーリはさぁっと顔色が青くなった。あれに自分が乗っていたら……想像しただけでもぞっとした。
 もう少しで死ぬところだったのだ。
「ふぇ……ッ」
 初めて見せつけられた死の恐怖に涙がこみ上げてくる。駄目だ駄目だと必死に押さえても、涙は一向に止まらない。止めなきゃと思えば思うほどボロボロと涙が零れ落ちた。
 これにギョッとしたのはギルダーのほうだった。
「あー、泣くな泣くな!」
「だって、だって……!」
「ったく、面倒くせえガキだな」
 泣きじゃくるユーリの背中にギルダーが手を回す。ぽん、ぽん、と。叩いているのか撫でているのかよくわからないあやし方だ。
「ガキのあやし方なんざわかんねえ。これで我慢しとけ」
 実に不器用な撫で方だったが、それでも今のユーリにとっては安心できるものだ。ユーリはギルダーの胸に顔を押しつけて思いっきり泣いた。



「船長! ほんっとすんません!」
 アジトに戻るなり、ガイルがギルダーに向かって深々と頭を下げた。一連の騒ぎを聞いて、原因は自分にあると責任を感じたのだろう。
「ユーリに舟の作り方を教えたのは自分っす。まさかこんなことになるとは思わなくて……」
「別にテメェは悪かねえよ。だが、自分の商売道具ぐらいちゃんと管理しとけ」
 ギルダーはユーリの背中をぽんと押してガイルの前に突き出した。
「危うくコイツを人殺しにさせるところだったんだ。謝っとけよ」
 もしあの時、ユーリがギルダーに助けられていなければ人の好いガイルは己を責めていたに違いない。ユーリが勝手に聞き出しただけなのに、まるで自分が悪いかのように今もしゅんと落ち込んでいる。
 ユーリはガイルに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「無事で何よりっす。ユーリ、今度は沈まない舟を作るっすよ」
「おいこら。調子に乗んなよ」
「あ、船長。すんません、すんませんっ」
 ガイルはユーリにこっそりと耳打ちしたのだが、ギルダーは聞き逃さなかったらしい。ギルダーに聞かれたガイルはばつが悪そうな顔をしていた。
 ふんと鼻を鳴らしてギルダーが去っていく。ユーリはその背中を見送りながら、はたと気がついた。
 何故ギルダーはわざわざ自分を助けたのだろうか?
「え? 当然じゃないっすか」
 ガイルはユーリの疑問が不思議だと言わんばかりに答えた。
「ユーリが無謀なことをしでかしそうになっていたから、船長は助けに行った。それだけの話っすよ」
「え、でもギルダーたちは海賊じゃん」
「船長はああいう人っす。海賊なんて関係ないっす」
 ガイルはにかっと笑った。すがすがしいまでの笑顔にユーリはぽかんと呆然せざるを得なかった。
 海賊なんて海の荒くれ者で、野蛮かつ残酷な人間だと思っていた。人を殺すことに躊躇いを持たない人種だと思っていた。そんな人間ならば今回の騒ぎでユーリが死んだところで何の罪悪感もわかないはずだ。
 だが、ギルダーは当然のようにユーリを助け、ガイルもユーリが無事だったことに安堵している。
 自分が抱いていた海賊のイメージが一気に崩された瞬間だった。
(なんだか、変な感じ)
 自分を攫ったことには腹が立つし、故郷に帰りたいという気持ちもある。
 だけどここにいる人たちは嫌いじゃないかも。
 そう思い始めたユーリであった。






[2014年 2月 25日] 初稿

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